アメリカでは、1942年にマンハッタン計画が始動した。
スターリンは、1948年までに原爆を製造するよう命じた。物理学者イーゴリ・クルチャトフをはじめとするソ連の科学者たちは、大粛清の組織者の一人であるベリヤ副首相の指揮下で、早期の原爆製造を目指すことになった。
1938年にドイツで核分裂を発見
1938年にドイツで核分裂の現象が発見され、各国の学者たちは、これを利用した超兵器の可能性を考えるようになった。
アメリカでは、1942年にマンハッタン計画が始動したが、これは、ドイツの亡命ユダヤ人物理学者レオ・シラードが、アインシュタインと連名で、ルーズヴェルト大統領に、ナチス・ドイツにおける原爆出現の可能性を警告したのが、最初のきっかけとなった。
ソ連の場合は、1943年に内務人民委員部がイギリスの極秘文書を手に入れたことや、ドイツ生まれの亡命物理学者クラウス・フックスが(彼は共産主義者だった)、スパイとして、ソ連に機密情報を流したことなどではずみがついた。
フックスは、初めイギリスでの原爆プロジェクトに参加したのち、マンハッタン計画にも加わり、臨界計算などで大きな貢献をした。
サロフに核開発センターが建設
ソ連の原爆製造計画は、ゴーリキー州(現ニジニ・ノヴゴロド州)のサロフで、極秘のうちに行われた。1946年4月に、ここに核開発センターが建設された。サロフは後に閉鎖都市とされ、アルザマス16と名付けられて、ソ連の核開発の中心になる。
当初、開発全般を指導したのは、副首相ラブレンチー・ベリヤで、物理学者クルチャトフ、ハリトンらが研究、開発に当たった。
サロフが選ばれたのは、森の奥深くにあり、秘密を守りやすいのにくわえ、鉄道が通っていて輸送に便利だったのが決め手の一つになった。
サロフの歴史は12~13世紀にさかのぼり、古くから修道院があった。正教会で尊崇されている聖人「サロフのセラフィム」は、ここの森林で修行した。
1949年8月29日 最初の原爆実験に成功
サロフの核開発センターは、1949年8月29日に、カザフ共和国(当時)のセミパラチンスクで、最初の原爆実験に成功する。
また1961年には、史上最大の水爆(通称ツァーリ・ボンバ、つまり爆弾の王様)の製造、実験に成功している。威力は広島型原爆の3300倍あった。
連邦崩壊後、アルザマス16は旧名のサロフに戻ったが、核開発をはじめ物理学研究は依然行われており、許可を得なければ、この街に入ることはできない。
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