ニコライ2世、7月20日1914年。
ロシアは、かねてよりスラヴ・正教圏の盟主をもって任じ、セルビアの独立支持を表明しており、参戦に踏み切るが、結局、帝国の崩壊と革命に終わった。
「バルカンの火薬庫」に滑り落ちていくロシア帝国
大戦前夜、多民族国家オーストリアでは、セルビアが急速に力をつけていた。セルビアは、独立を達成するために、いわゆる冒険主義的な行動に出ていた。
「サラエボの一発の銃弾」もその現われといえる。ロシアなどを引き込んで大戦争を起せば、それでなくとも解体寸前のトルコやオーストリアは崩壊し、独立できるという読みだ(これは図に当たった)。
しかし、ロシアにしてみるとはた迷惑である。スラヴ・正教圏の盟主としては、危険を冒しつつ、セルビアを助けねばならないからだ。
損得勘定
もちろん、ロシア自身としても、ダーダネルス、ボスフォラスの両海峡の奪取など、トルコ解体による“漁夫の利”には与りたかった。これは長年の悲願である。
だが、オーストリアと事を構えれば、その同盟国のドイツが出てくる。
それに、大戦前夜のロシアは、国内に深刻な問題を抱えており、下手をすると、また、日露戦争が第一次革命につながった1905年の二の舞となる。
当時のロシアの好況は、巨額の外資導入と貧困層の重労働で支えられていた面があり、ストライキ件数は急増していた。1914年の上半期だけで、約130万の労働者が参加している。
こんなことはすべて、ロシア政府の上層部も承知していたわけだが・・・。
新しい戦争
しかし、ロシアは参戦に踏み切った。世論も、「セルビアを助けよ!」という愛国的気分で盛り上がっていた。
スラヴの盟主という面子と国家の威信がかかっていたし、こういう場合、毎度のことだが、戦勝があらゆる矛盾を解決してくれるように思われた。それに、誰もがこの戦争は、数ヶ月で終わると高をくくっていた。
ところが、参戦した国を待っていたのは、前代未聞の戦争だった。ライフル、機関銃の一斉射撃の凄まじい威力、それから身を守るための塹壕戦、その果てしない長期化、そして毒ガスの容赦ない使用・・・。
短期で終わるとの大方の見通しははずれ、本格的な総力戦で、ロシアは文字通り疲弊していった。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。