ルソ・バルトС-24/40 写真提供:wikipedia.org
ロシア初の国産車
ロシア初の国産車は、1896年に作られ、ニジニ・ノヴゴロドで開かれた「ロシア産業・芸術博覧会」に出品された。サンクトペテルブルクの企業家、E.A.ヤコヴレフと P.A.フレーゼが1893年のシカゴ世界博覧会で披露されたBenz Veloに感銘を受け、早くも3年後に国産車を産み出したもの。
エンジンとトランスミッションは、ヤコヴレフ工場製で、車体構造とタイヤはフレーゼ工場製。設計図は保存されていないので、性能は写真などから推測できるだけだが、2馬力、最高時速40キロほどで、10時間走行可能だったという。トランスミッションはベンツのものに似ていたと言われる。車輪は木製でそれにゴムのタイヤが付いていた。
ロシア・バルト工場の発展
その後、民間自動車製造工場がいくつか設立され、その最大のものの一つが、1874年創立のロシア・バルト工場で、1909年に最初の量産車ルソ・バルトを生み出すことになった。2人乗りで、2馬力4気筒のエンジンを搭載しており、デザインも洗練されていた。
ルソ・バルト車は、信頼性と耐久性で高い評価をかち得て、皇室でも2台購入した。軍からの注文も受けるようになった。
1910年と1913年にサンクトペテルブルクで開催された国際自動車サロンをはじめ、5つの見本市に出品され、計5つの金メダルを獲得するなど、国際的な評価も得た。
まもなくロシア・バルト工場は、トラック、バス、重砲の牽引車、消防車や、装甲車の車台の製造に着手するなど、急速に発展していった。
この工場の生産は、1915年7月まで、つまり、第一次大戦でリガの周辺が戦場になるまで続けられた。
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