救世主ハリストス大聖堂の成聖式

救世主ハリストス大聖堂、1881年 写真提供:wikipedia.org

救世主ハリストス大聖堂、1881年 写真提供:wikipedia.org

1883年の今日、5月26日(グレゴリオ暦で6月7日)、救世主ハリストス大聖堂の成聖式が執り行われた。

 モスクワの救世主ハリストス大聖堂は、ロシア正教会の首座聖堂で、正教会の聖堂としては“世界最高”の103mの高さを誇る。

 

祖国戦争記念し1817年に雀が丘で着工 

 1812年、皇帝アレクサンドル1世は、祖国戦争(ナポレオンのロシア遠征)の戦勝記念と戦没者慰霊のために、大聖堂建立の勅令を発した。

 着工は1817年、設計を担当したのは、アレクサンドル・ヴィトベルク。新古典主義によるきわめて斬新なフォルムで、現在のものとはまったく違っていた。場所も現在とは異なり、今モスクワ大学本館がある雀が丘で着工した。ところが、ここは地下水が多く、地盤が軟弱で、工事は中止されてしまう。

 

因縁話・・・ 

 アレクサンドルの死後即位したニコライ1世は、今度は、コンスタンチン・トーンに設計を委ね、場所を変えて、現在のモスクワ河畔で工事を再開することになった。場所は皇帝自らが選んだ。

 実は、ここにはアレクセーエフスキー女子修道院があったのだが、修道院は郊外のソコリニキに移転となり、建物はすべて破壊されてしまう。言い伝えによると、その際、修道院長は、破壊者を呪い、「いかなる建物をここに建てようと永続きはしない」と予告したという。

 

当代一流の画家を総動員 

 とにもかくにも、1839年9月に着工。建築様式は、他のいかなる聖堂とも異なっており、ビザンティン様式、モスクワのウスペンスキー大聖堂、コローメンスコエの「主の昇天聖堂」、サンクトペテルブルクの聖イサアク大聖堂などが渾然一体となっている。

 内装も壮観で、スリコフ、クラムスコイ、ヴェレシチャーギンなど、当代一流の画家を総動員して、フレスコ画、彫刻などを制作、配置した。

 完成を間近に控えた1882年8月には、チャイコフスキーの「序曲1812年」が聖堂で演奏された。

 こうして実に44年の歳月をかけて、1883年5月26日(グレゴリオ暦6月7日)に、救世主ハリストス大聖堂の成聖式が執り行われた。

 聖堂は、ロシア革命後、数奇な運命をたどることになる。

 

爆破―ソビエト宮殿―屋外雲水プール―再建・・・ 

 ロシア革命後、スターリン時代の1931年に、大聖堂は爆破された。正教会の象徴を破壊したその場所に、社会主義の象徴となるソビエト宮殿を建設するためであった。

 この宮殿は、複数の円筒が積み重なる「バベルの塔」風の外観で、頂上には巨大なレーニン像が屹立し、全体の高さは415mという途轍もないものであったが、工事はモスクワ川からの地下水の浸潤などで難航した。

 にもかかわらず、工事は強行され、1939年には、高さ約30mほどの基礎部分ができていた。ちなみに、地下鉄のクロポトキンスカヤ駅は、宮殿前の駅として造られたもので、このプロジェクトの名残だ。

 だが1941年に独ソ戦が始まり、工事は中断。組み立てられていた鉄骨などの資材も、供出された。

 スターリンの死後、ついに計画は撤回され、今度は、1958年から、基礎部分をそのまま使って、巨大な屋外温水プールが造られた。直径129・5mの円形で、完成は1960年。

 時代は下り、ペレストロイカ末期になると、大聖堂再建の機運が盛り上がり始める。ソ連崩壊後の1995年に着工、2000年に成聖式が行われ、今日にいたる。