「灰色の狼に乗ったイワン王子」、1889年 |
ヴィクトル・ヴァスネツォフ(1848~1926)は、歴史やおとぎ話を題材とした作品やイコンで知られる。その耽美的でメルヘンティックな画風はとてもファンが多い。民芸運動の拠点となった芸術村アブラムツェヴォでは、ミハイル・ヴルーベリとともに、運動をリードした。
建築も手がけ、いわゆる「スカースカ(おとぎ話)様式」を洗練させた。代表作は、アブラムツェヴォ村の教会やトレチャコフ美術館だ。
移動展派からアブラムツェヴォへ
ヴァスネツォフは、ヴャートカ県(現キーロフ州)の寒村で村の司祭の子として生まれた。父は司祭であるにもかかわらず天文学や絵画に興味をもつという、一風変わった教養人だった。
神学校在学中にイコンやフレスコ画などを描き、画家を志すようになる。卒業すると自作の絵を売って学費を貯め、1867年にサンクトペテルブルクの帝国美術アカデミーに入る。
当時は、絵画のナロードニキ(人民主義者)と言うべき「移動展派」の活動が活発になる時期で、その総帥であったイワン・クラムスコイやイリヤ・レーピンと親しくなる。
パリ行きが転機に
しばらくは、移動展派のコンセプトにしたがい、写実的で民衆の生活に密着した絵を描いていたが、1876年にレーピンに招かれてパリに行ったのが転機となる。
ここで古典と、時代の先端の印象派の双方を研究する一方で、ロシアのおとぎ話を題材にした絵を描くようになった。代表作の1つ「灰色の狼に乗ったイワン王子」もこの当時着手されている。
翌1876年に帰国すると、おとぎ話にもとづく「岐路に立つ騎士」、「アリョーヌシカ」などの代表作を精力的に制作し、80年代には、アブラムツェヴォ村の所有者であるサーヴァ・マモントフの庇護を受けてイコンも制作するようになり、画壇の寵児となっていく。
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