名指揮者エフゲニー・スヴェトラーノフ死す

ロシアの作曲家・ピアニスト・指揮者 エフゲニー・スヴェトラーノフ氏 =Press Photo撮影

ロシアの作曲家・ピアニスト・指揮者 エフゲニー・スヴェトラーノフ氏 =Press Photo撮影

2002年の今日、5月3日に、ソ連とロシアを代表する名指揮者の一人であるエフゲニー・スヴェトラーノフが亡くなった。

 スヴェトラーノフは、1928年にモスクワで生まれ、グネーシン音楽学校、モスクワ音楽院で学んだ。指揮はアレクサンドル・ガウク、作曲はユーリー・シャポーリンに師事している。

 早くも音楽院の4年生のときから、名門のモスクワ放送交響楽団の副指揮者となった(1954年)。1955年からボリショイ劇場で指揮をとり、1962~1965にはボリショイ劇場の首席指揮者を務める。

 

黄金コンビの誕生 

 1965年にソビエト国立交響楽団(現ロシア国立交響楽団)の首席指揮者に就任し(2000年まで)、黄金コンビの誕生となった。レパートリーは、ロシアとソ連の管弦楽が中心で、それだけでアルバム数は100を上回り、隠れた名曲の発掘にも大いに努めた。ワシーリー・カリーンニコフの管弦楽曲全集などはその好例だ。

 オペラでは、グリンカ「イワン・スサーニン」、ムソルグスキー「ボリス・ゴドゥノフ」、ボドディン「イーゴリ公」、リムスキー=コルサコフ「金鶏」、チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」、ヴェルディ「リゴレット」などで名演を残した。とくにリムスキー=コルサコフの「見えざる町キーテジと乙女フェヴローニャの物語」の上演は、いまだに語り草となっている。

 スヴェトラーノフはロシアではしばしば、「最後のロマン主義者」と言われることがある。全盛期の、ロシア的な叙情と桁外れの迫力が一体となった指揮ぶりは、ソビエト国立交響楽団の力量とあいまって忘れがたい。

 晩年は海外での客演が増え、NHK交響楽団でも素晴らしいロシア音楽を聞かせた。

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