写真提供:Deutsches Bundesarchiv / wikipedia.org
4月16日、オーデル川に迫ったジューコフ元帥率いる赤軍は、ドイツの首都占領を目的とするベルリン作戦を開始する。
4月20日、ヒトラーの誕生日に総統官邸に集まった高官たちは、各種政府機関のベルリン退去を決め、ゲーリングやレーダーら軍首脳も去っていった。
4月21日、赤軍の第1機械化軍団がベルリン郊外に迫り、市の中心部に砲撃を開始し、翌22日には、第6親衛戦車軍などの部隊が市外の防衛線を突破し、テルトウ運河に到達して、23日にはベルリン市街地へ突入する。
地下壕で愛人と自殺
ついにヒトラーは、総統地下壕での4月22日の作戦会議で「戦争は負けだ」ともらし、ベルリンで死ぬと言った。
4月29日、ハインリヒ・ヒムラーがヒトラーの許可を得ずに英米に降伏を申し出たことが世界に報道され、ヒトラーに衝撃を与えた。
同日、ヒトラーは遺書を口述し、愛人エヴァ・ブラウンと結婚式を挙げて、翌4月30日、ともに自殺した。
ガソリンで焼かれた遺体は赤軍が発見し回収した。検死はソ連の医師だけが行い、ヒトラーの側近らの明確な証言もなかったので、「ヒトラー生存説」が唱えられることになる。
ライヒスタークの赤旗
同日、4月30日に、ドイツ軍の抵抗拠点の一つになっていた国会議事堂(ライヒスターク)の赤軍による攻撃が始まる。
5月2日の議事堂の陥落後に、赤軍兵士がその屋根にソ連国旗を掲げる写真「ライヒスタークの赤旗」は、ベルリン陥落を象徴するものとして名高い。
なお、この国会議事堂(1894年に竣工)は、ヒトラーが1933年1月に首相となった直後に炎上し、ヒトラーにより共産党の非合法化などに利用された。
現在、この建物は修復されて、ドイツ連邦議会の議事堂となっている。
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