ヒトラーが自殺し赤軍が国会議事堂を攻撃

写真提供:Deutsches Bundesarchiv / wikipedia.org

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1945年の今日、4月30日に、ヒトラーがベルリンの総統地下壕で自殺した。同日、ソ連赤軍は、ドイツ軍の抵抗拠点の一つとなっていた国会議事堂の攻撃を開始して、5月2日に陥落させた。赤軍兵士がその屋根にソ連国旗を掲げる写真は、「ライヒスタークの赤旗」として、ベルリン陥落を象徴するものとなった。

 4月16日、オーデル川に迫ったジューコフ元帥率いる赤軍は、ドイツの首都占領を目的とするベルリン作戦を開始する。  

 4月20日、ヒトラーの誕生日に総統官邸に集まった高官たちは、各種政府機関のベルリン退去を決め、ゲーリングやレーダーら軍首脳も去っていった。

 4月21日、赤軍の第1機械化軍団がベルリン郊外に迫り、市の中心部に砲撃を開始し、翌22日には、第6親衛戦車軍などの部隊が市外の防衛線を突破し、テルトウ運河に到達して、23日にはベルリン市街地へ突入する。

 

地下壕で愛人と自殺 

 ついにヒトラーは、総統地下壕での4月22日の作戦会議で「戦争は負けだ」ともらし、ベルリンで死ぬと言った。

 4月29日、ハインリヒ・ヒムラーがヒトラーの許可を得ずに英米に降伏を申し出たことが世界に報道され、ヒトラーに衝撃を与えた。

 同日、ヒトラーは遺書を口述し、愛人エヴァ・ブラウンと結婚式を挙げて、翌4月30日、ともに自殺した。

 ガソリンで焼かれた遺体は赤軍が発見し回収した。検死はソ連の医師だけが行い、ヒトラーの側近らの明確な証言もなかったので、「ヒトラー生存説」が唱えられることになる。

 

ライヒスタークの赤旗

 同日、4月30日に、ドイツ軍の抵抗拠点の一つになっていた国会議事堂(ライヒスターク)の赤軍による攻撃が始まる。

 5月2日の議事堂の陥落後に、赤軍兵士がその屋根にソ連国旗を掲げる写真「ライヒスタークの赤旗」は、ベルリン陥落を象徴するものとして名高い。

 なお、この国会議事堂(1894年に竣工)は、ヒトラーが1933年1月に首相となった直後に炎上し、ヒトラーにより共産党の非合法化などに利用された。

現在、この建物は修復されて、ドイツ連邦議会の議事堂となっている。