写真提供:Das Bundesarchiv
ターニングポイント
ドイツ軍は、スターリングラード攻防戦(1942年6月28日~1943年2月2日)と1943年8月のクルスクの戦いで、大損害を被り、もはや攻勢をかける余力はなくなり、後退を重ねていく。
1944年6月22日、すなわち独ソ戦開始からちょうど3年目に、赤軍はバグラチオン作戦を始動し、ドイツ軍はソ連領からほぼ駆逐されてしまう。
ドイツ領に侵入
1945年1月20日、赤軍はついにドイツ領内の東プロイセンに突入した。
1945年2月14日、ハンガリーの首都ブダペストが陥落すると、ドイツ軍は、ヒトラー自身の判断で、ドイツ本国の守りを固めるより、ハンガリーの油田奪回のために「春の目覚め作戦」を行うが、圧倒的な物量差で大敗する。
ベルリン作戦始動
4月16日、オーデル川に迫ったジューコフ元帥率いる赤軍は、ドイツの首都占領を目的とするベルリン作戦を開始する。
4月20日、ヒトラーの誕生日に総統官邸に集まった高官たちは、各種政府機関のベルリン退去を決め、ゲーリングやレーダーら軍首脳も去っていった。
4月21日、赤軍の第1機械化軍団がベルリン郊外に迫り、市の中心部に砲撃を開始し、翌22日には、第6親衛戦車軍などの部隊が市外の防衛線を突破し、テルトウ運河に到達して、23日にはベルリン市街地へ突入する。
4月30日に、ヒトラーが総統地下壕で自殺し、5月2日、ベルリンは陥落した。
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