1890年
至聖三者聖セルギイ大修道院は、モスクワの北方90キロメートルに位置するセルギエフ・ポサードの町にある。その建築群は1993年に、ユネスコにより世界遺産に登録されている。ちなみに、「至聖三者」とは「三位一体」に相当する言葉だ。
創立者 ラドネジの聖セルギイ
至聖三者聖セルギイ大修道院は、ロシア正教会の支柱とも言うべき修道院であり、1345年にラドネジの聖セルギイ(1322頃~1392)が原生林に建立した小さな木造の教会が起源だ。
セルギイは初め、そこで1年ほど隠者として過ごしていたが、やがて他の修道士たちが集まって、彼の指導を仰ぎ、教会を建設し始めた。こうした共住式修道院は徐々にロシア全土に広まっていき、セルギイの弟子たちが建てた修道院は400にも及ぶ。
荒野修道院運動でロシアの物心両面を支える
当時の厳しいモンゴルの支配下にあって、これらのいわゆる荒野修道院は、一方では、人心の安定に寄与し、また一方では、原生林の開墾による耕地の増大で、物質面でも大きく貢献していった。西欧式の輪作を大々的に導入したのも彼らだ。セルギエフ・ポサードもこうして生まれた町である。
また、セルギイは、ロシアの諸侯が内訌を止めてモンゴルに対して結集することを訴えた。セルギイの晩年の1380年には、モスクワ大公ドミートリー・ドンスコイ率いるロシア諸侯連合軍が、モンゴルの大軍を壊滅させている。このクリコヴォの戦いは、「タタールのくびき」からの解放の大きなきっかけとなった。
革命後の閉鎖、破壊と復活
だが、10月革命後の1920年に修道院は閉鎖されて博物館となり、建物やイコンなどは国有化される。1930年には、65トンの「皇帝の鐘」をはじめ、すべての鐘が鋳つぶされてしまう。
ところが独ソ戦が始まると、スターリンは政策を転換し、愛国心の鼓吹のため正教会を利用するようになり、1945年には至聖三者聖セルギイ大修道院はロシア正教会に返還された。
こうして、1946年4月16日、生神女就寝大聖堂で、再び奉神礼(典礼)を執り行うために、成聖式(聖別)が行われるにいたる。
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