清掃員、郵便集配人。1846年、 I.S.ボンダレーフスキーのリトグラフ。
違反すれば鞭打ちか罰金
この法律により、モスクワの住民は、ゴミを通りに捨てられなくなり、中庭と道路の清潔、衛生状態を保ち、あらゆる廃棄物は市外に運んで、土で覆うことを義務付けられることになった。
罰則はかなり厳しいもので、鞭打ちか罰金。しかも“再犯”の場合は、罰が重くなり、罰金の額も増した。その額は10ルーブルというから、当時としてはかなりの大金だ。
下水とゴミ箱も設置が始まる
ピョートル以前にも、この種の法令がなかったわけではない。彼の父であるアレクセイ・ミハイロヴィチの治世には、1649年の訓令で清掃員が出現している。これである程度衛生状態が改善されたものの、根本的解決には程遠かった。モスクワの路上には、数世紀にわたり、人間の“生み出す”ありとあらゆるものが転がっていた。
クレムリンでさえ、ピョートルがここに、現在の省にあたるコレギヤ(参議会)を、そのあらゆる人員とともに置くようになってからは、理想的というにはほど遠かった。
こういう状況だったから、ピョートルの布告は、モスクワの衛生を担当する役人にとっても、清掃員にとっても、援護射撃になった。また彼の治世には、首都に下水道とゴミ箱の設置が始まっている。モスクワっ子も、罰則が怖かったから、ゴミの投棄はかなり減った。
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