画家イワン・クラムスコイ死す

イワン・クラムスコイの作品「見知らぬ女」 =wikipedia.org

イワン・クラムスコイの作品「見知らぬ女」 =wikipedia.org

1887年の今日、4月5日(ユリウス暦3月24日)に、19世紀ロシア最大の画家のひとりで肖像画の名手として知られるイワン・クラムスコイ(1837年生まれ)が死んだ。カルル・ラウフフス医学博士の肖像画を描いているときに、突然、画架に崩れ落ちて亡くなったという、理想家の彼にふさわしい最期だった。

 クラムスコイは、「移動展派」の組織者、総帥だった。これは、美術アカデミーの題材、テーマ、手法などの面での束縛に抗議した画家の集団で、民衆の生活を多面的に描き、反権力的な志向をもっていた。1870年からはロシア各地を巡回して美術展を開き、美術に接する機会の乏しかった地方の民衆の啓蒙に努めた。その意味で、絵画におけるナロードニキ(人民主義者)であったといえる。

 ゲー、ペローフ、レーピン、サヴラーソフ、シーシキン、ヴァスネツォフ兄弟、クインジ、ポレーノフ、ヤロシェンコ、レヴィターン、セローフ等々、19世紀後半の名だたる画家の大半がこの派に属しているといっても過言ではない。

 クラムスコイの本領は肖像画で、その数ある傑作のなかでも、文豪レフ・トルストイのそれ(1873年)と、「見知らぬひと」(邦題「忘れえぬひと」、1883年)がとくに名高い。ここでは、この絵のモデルについてしぼって書いてみよう。

 

いまだ続く「見知らぬひと」のモデル探し 

 馬車に乗った、どこか謎めいた美女を描いた「見知らぬひと」のモデルはいまだに判明していない。皇帝アレクサンドル2世の愛人、アレクサンドラ・アリベディンスカヤ(1834~1913)だという説があるが、彼女は、この絵の制作当時すでに50歳に近く、年齢が合わない。

 「見知らぬひと」には、文学起源説もある。美貌の人妻の悲恋を描いた、レフ・トルストイの長編「アンナ・カレーニナ」(1873~1877)だ。その悲劇のヒロイン、アンナがこの絵のイメージのもとになっているというのだ。

 トルストイ研究の権威だった故リディア・オプリスカヤさんは、「絵画の執筆時期、トルストイとクラムスコイの交流の深さ、そして何よりも絵のイメージから、アンナの可能性は高い。この絵が発表されたときすでに、多くの人が、なにか心に苦しみを秘めているような見知らぬひとにアンナの面影を重ね合わせた」と、筆者に語ったことがある。アンナ説について、少し突っ込んで考えてみよう。

 

「見知らぬひと」はアンナ・カレーニナか? 

 1873年、まさにトルストイが「アンナ・カレーニナ」の執筆を始めた年、クラムスコイは、トルストイの屋敷で彼の肖像画を描いている。この間ふたりは、しばしば芸術、絵画をめぐって活発な議論をしたと、クラムスコイ自身が述べている。彼らは、「アンナ・カレーニナ」についても話し合ったことだろう。

「見知らぬひと」に現実のモデルはいない

 現在では、ほとんどの専門家が、「見知らぬひと」には現実のモデルは存在しなかったと考えている。というのは、20世紀後半に発見されたこの絵画のエチュードの女性が、「見知らぬひと」とあまり似ておらず、プロの絵画モデルだと推測されるためだ。クラムスコイは、自分の心のなかにあったイメージを具象化するために、モデル嬢にポーズをとらせたのであり、彼女はイメージをのせる土台にすぎなかった、というわけである。

 

 ふたりの交流は、「アンナ・カレーニナ」自体にも跡を残した。この小説には、ミハイロフという画家がでてくるが、彼は「クラムスコイにそっくり」で(画家イリヤ・レーピン)、彼のモデルがクラムスコイであることは、通説となっている。しかも、このミハイロフは、アンナのみごとな肖像画を描いているのだ。

 

アンナの容貌とぴたり一致 

 ここでアンナの容貌を思い起こしてみよう。彼女は、こわい黒髪をしている。アンナの「いたるところでカールした髪」は、彼女のデモーニッシュなパトスのシンボルとして、再三強調される。アンナが生まれたオブロンスキー家には情熱的な南方の血が混ざっていることが暗示されているのだ。しかも、アンナの髪は、「いつも後頭部とこめかみでカールしている」。これらは、「見知らぬひと」の特徴とぴたりと一致する。

 

ヒントは「見知らぬひと」の絵の季節と背景に 

  さらに示唆的なのは、「見知らぬひと」の絵の季節と背景である。背景が、ペテルブルグのネフスキー大通りのアニチコフ宮殿付近であることは、すでに明らかになっている。季節は、彼女の服装と馬車がオープンであることから、晩春から初秋の間。時刻は、夕方と考えられる。

 アンナが、この季節に、ペテルブルグ市街で馬車に乗る場面は、長大な「アンナ・カレーニナ」のなかでたった一箇所しかない。

 この日、アンナは、夫カレーニンの家を出てから初めて、人目を忍んで息子セリョージャに会う。息子への愛情に引き裂かれ、また愛人ヴロンスキーの愛が信じられなくなって絶望したアンナは、夕方、全社交界の集まるマリインスキー劇場に乗り込んだ。彼女は、自分を締め出した社交界に、いわば喧嘩を売りに行ったのだったが、逆に、ある上流婦人に汚らわしい女と呼ばれ、文字通り公衆の前で辱められる。アンナの生涯でもっとも苦しい日の一つである。

  ここで再び「見知らぬひと」に目を向けてみると、彼女の馬車は左側に、つまりアニチコフ宮殿側にカーブを切ろうとしている。そこには、フォンタンカ運河沿いの美しい通りがあり、その通りをずっと行くと、ほかならぬマリインスキー劇場に通じているのだ。この符号はたんなる偶然だろうか? クラムスコイは、ひそかに自分の画面にメッセージを託したのではないだろうか?

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