ロシア初の女性将校ナジェージダ・ドゥーロワ死す

ナジェージダ・ドゥーロワ

ナジェージダ・ドゥーロワ

1866年の今日、4月2日(ユリウス暦3月21日)に、ロシア初の女性の将校(軽騎兵)として、祖国戦争で勇名を馳せたナジェージダ・ドゥーロワが亡くなった。彼女の“小説よりも奇なる”回想録は、詩人プーシキンにも注目された。

 ドゥーロワは、自身の回想録では1789年か1790年に生まれたことになっているが、実は1783年生まれだ。サバを読んだのは、のちに男を装ってコサック軍に入ったとき、14歳の少年という触れ込みだっため。コサックは全員ヒゲを生やさなければならかったので、ヒゲの生えない年齢にごまかす必要があったのだ。

 

 周りは軽騎兵だらけ 

 ドゥーロワは、キエフの軽騎兵の地主貴族の家に生まれるが、男児を待望していた母には愛されなかったという。あるとき、彼女が1歳くらいの頃、母子が馬車に乗っていたところ、赤ん坊がなかなか泣き止まないのに業を煮やした母は、彼女を窓から外に放り投げた。血まみれになった彼女を拾ってくれたのは、軽騎兵たちであった。

 この事件のあと父親は、赤ん坊を軽騎兵のアスターホフに養女にやってしまった。こうして、「鞍が揺りかご、馬と武器と軍歌がおもちゃ」という環境で5歳になったとき、父が退役したので、家に連れ戻される。母は編み物だの家事だの仕込もうとするが、「さっぱりだった」という。

 

 コサックと駆け落ち、軽騎兵に 

 18歳でむりやり陪席判事と結婚させられ、男児をもうけるが、「何の感情も湧かなかった」。子供と夫を置いて、実家に戻り、母の怒りを買う。そうこうしているうちに、某コサック大尉と恋に落ち、駆け落ちする。ときに1806年。

 ところが、間もなくコサック大尉を見捨てて、コサック軍を出奔し、正規軍の軽騎兵連隊にたどり着く。ドゥーロワは、「自分は地主貴族の息子、アレクサンドル・ソコロフである」と名乗り、勤務を請願し、許される。

 

 ナポレオン戦争で活躍 

 こうして晴れて正規軍の軽騎兵となったドゥーロワは、ベニグセン将軍率いるロシア軍がナポレオン率いるフランス軍と激突した、フリートラントの戦い(1807)に参加し、激戦のさなか、負傷した将校を救う。これでゲオルギー十字章を授与される。この勲章は真の勇士の証とみなされていたものだ。

 その後、ドゥーロワは、いったん身元が割れて、自宅に連れ戻されかかるが、皇帝アレクサンドル1世に直訴して、軍に復帰し、1812年にはスモレンスク、ボロジノの大会戦に参加。「諸国民の戦い」にも加わり各地を転戦し、活躍した。

 

 エラブガ(アラブガ)に遠征 

 1816年に、父の頼みに負けて、二等大尉で退役し、エラブガ(現タタルスタン共和国のアラブガ)に住む。常に男物の衣服を着て、署名もアレクサンドロフと男性名でしていた。女性扱いされると怒り、人付き合いは少なく、犬猫をたくさん飼っていた。

 1866年、エラブガで82歳で死亡。軍隊葬をもって葬られた。