ムスティスラフ・ロストロポーヴィチと ガリーナ・ヴィシネフスカヤ |
音楽一家
ロストロポーヴィチ家は、17世紀末から知られている貴族の家柄である。父レオポルドは著名なチェリストで、母ソフィアもピアニストという音楽一家の生まれで、祖父ヴィトリドもピアニスト・作曲家という、まさに音楽一家に生まれ育った。
独ソ戦のさなかの1943年に16歳でモスクワ音楽院に入学し、チェロをセミョーン・コゾルポフに、作曲をショスタコーヴィチとプロコフィエフに教わった。
天馬空を行く
1945年に、全ソビエト音楽コンクール金賞を受賞したのをはじめ、以後あらゆる賞を総なめにする。55年にヴィシネフスカヤと結婚。おしどり夫婦で有名であった。
翌56年には20代の若さでモスクワ音楽院教授に就任。
海外のコンクールに出たことで、その桁外れの実力は早くから知れ渡り、西側の大家との競演も多くなる。とくに指揮者カラヤンとは相性がよかったらしく、ドヴォルザークのチェロ協奏曲やリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」などで息の合った名演を残している。
西側に亡命
しかし、60年代末から、ソビエト体制を批判した作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンを援助し、ブレジネフ書記長に対して彼を擁護する公開書簡を書くなどしたため、内外での演奏活動を停止させられる。
ついに74年にソ連を出国、亡命し、78年にはソ連国籍を剥奪される。
連邦崩壊前夜の90年に、国籍を回復し、ワシントン・ナショナル交響楽団と率いて、ソ連でコンサートを行った。
親日家で、とくに小澤征爾とは親交が深かった。寿司やウナギなどの日本食も大好物だったという。
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