イワン・コズロフスキー
コズロフスキーは、早くも7歳から修道院の合唱団で歌い始め、内戦のさなかの1920年にキエフ音楽ドラマ学校を卒業し、赤軍での兵役ののち、1924年にハリコフ歌劇場に入団した。1925~1926年にはスヴェルドロフスク歌劇場のソリストとなった。
1926年にコズロフスキーは、ボリショイ劇場に招かれて移籍し、直ちにヴェルディ「椿姫」のアルフレードという大役でデビュー。たちまちスターとなり、30年代末からはスターリンの大のお気に入りの歌手となった。
しかしコズロフスキーは、人気、名声のピークにあった54年に突如ボリショイを退団する。理由は今日にいたるまで不明だ。
レーメシェフと2枚看板
コズロフスキーは、1930~1950年代のボリショイ劇場の黄金期にあって、セルゲイ・レーメシェフとともに二大テノールとして活躍した。
レーメシェフが2枚目的なリリックでロマンティックな役柄を得意としたのに対し、コズロフスキーは、ムソルグスキー「ボリス・ゴドゥノフ」のユロージヴィ(白痴と訳されるが、放浪無宿の神がかり)のような、いわゆる性格的な役で本領を発揮した。チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」のレンスキーも当たり役。
リムスキー=コルサコフ「サトコ」のインドの商人(1949年録音、ボリショイ劇場、ニコライ・ゴロヴァーノフ指揮)、「ボリス・ゴドゥノフ」の白痴(1948年録音、ボリショイ劇場、ゴロヴァーノフ指揮)などでは、コズロフスキーの「魔術的」とも言われる芸風だけでなく、当時のボリショイの凄さが堪能できる。とくに指揮が素晴らしい
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