SF作家アレクサンドル・ベリャーエフ生まれる

1884年の今日、3月16日(ユリウス暦3月4日)に、SF作家アレクサンドル・ベリャーエフ(1884~1942)が生まれた。ロシアで初めて専らSF作品を書いた作家で、「ソ連のヴェレヌ」と呼ばれた。日本でも代表作の『ドウエル教授の首』などが、早くから紹介されている。切り離された首だけで生き続けるドウエル教授をご記憶の方は多いだろう。

アレクサンドル・ベリャーエフ

 ベリャーエフは、ロシア西部のスモレンスク市に司祭の息子として生まれ、神学校で学ぶが司祭にはならず、1901年に神学校を卒業すると、ヤロスラヴリ市のデミドフスキー法律学校に入学する。

 まもなく父がなくなったため、絵描き、ヴァイオリン弾き、家庭教師などで家計を支えなくてはならなかった。

 卒業後、ベリャーエフは法律家になり、成功する。仕事にも恵まれ、フランス、イタリアなどしばしば外国を旅行する。1914年には、すべてを投げ打って、執筆活動に専念するようになる。

 

寝ている間に革命と内戦

 ところが、翌15年に突然、脊椎カリエスになり、6年間寝たきりとなって、首から下の自由を失ってしまった。

 しかしこの間も、彼は腐らずに、読書に励み、とくにヴェレヌ、H.G.ウェルズ、ロシアのロケット工学の始祖ツィオルコフスキーなどの著書を愛読し、外国語も勉強した。 

 ようやく回復したのは1922年で、この6年間にロシア革命と内戦が起きていた

 

 身体のない首が考えること

 回復後、幼稚園の保父、警官などを転々とし、やがてモスクワに移って法務専門家の職を得て、執筆に打ち込んだ。

 1925年に、彼が自伝的と呼ぶ処女作『ドウエル教授の首』が雑誌『探検世界』に採用された。ベリャーエフは、「身体のない首がどんな思いをするか」描きたかったのだと言う。翌1926年には専業作家となる。

 ほかに、生物改造を描いた『両棲人間』(1928)、発明と冒険の連作短編『ワグナー教授シリーズ』などの作品を矢継ぎ早に発表し、人気を得た。

 

愛読者のドイツ将官に葬られる

 しかし、健康にはその後も恵まれず、独ソ戦の直前にも手術を受けており、疎開を勧められたが、断った。

 当時彼は、レニングラード近郊のプーシキン市に住んでおり、まもなく同市はドイツ軍に占領された。421月にベリャーエフは餓死し、ドイツ軍の将官によって葬られたという。この将官は、ベリャーエフの愛読者であったという。

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