アレクサンドル2世、1865年
アレクサンドル2世の改革は確かに抜本的なものであったが、成功したとは言いがたい。農奴解放一つとっても、莫大な借金(土地の買い取り金)を背負わされ、わずかな土地を与えられて、地主丸抱えの生活から放り出された農民はもちろんのこと、地主貴族のほうも苦境に陥った。
誰もが苦しい“解放”
ツァーリの“解放”は、地主から見ると、ごく大ざっぱに言って、地主の借金は棒引きにしたやる代わりに、領地は半減させるというものだったから、工業化がどんどん進んでいく状況では、地主の昔ながらの遅れた農業経営は生き残るのが難しかった。事実、地主の大半が、時を経ずして没落していっている。
農民による地主邸の焼き討ち、大学騒動なども相次いだ。ドストエフスキーの名作『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフやその友人ラズミヒンは、このときの退学学生だ。
社会不安とテロ頻発
こうした状況は、一方で社会不安と、政治集団、革命集団の過激化を招いた。テロが相次ぎ、皇帝暗殺未遂事件も何度か起きた。
アルメニア出身の軍人で政治家のミハイル・ロリス=メリコフは、行政と財政の改革を進めることで、国内情勢を安定させようとしたが、その矢先に、皇帝が暗殺されてしまい、すでに裁可を得ていた改革案は白紙にもどされた。
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