ウラジスラフ・リスチエフ氏、1992年=写真提供:New Look Team
リスチエフは、ペレストロイカ時代から人気抜群のジャーナリストで、当時新設されたテレビ局ORT(現在の「第1チャンネル」)の支配人を務めていた。
彼が広く知られるようになったのは、とくに人気テレビ番組「ヴズグリャド(視線)」(1987~1991)での司会がきっかけだ。その歯に衣着せぬ批判、論評、ポイントを押さえた名司会ぶりは、いまだに語り草となっている。
95年1月、リスチエフは、新設されたテレビ局ORTの支配人に就任するや直ちに、広告主の独占状態の打破など、抜本的な改革を目指し、広告業界との交渉を始めた。
そして、これに関連して、すべての広告の放映を一時中止するという前代未聞の決定を行った。
こうした状況のなか、95年3月1日に夜、リスチエフは、人気番組「ラッシュアワー」の収録を終えて、自宅アパートのある棟の入口を入ったところで、頭部に銃弾を受けて、殺された。
多額の所持金がそのままになっていたことから、当初から政治、ビジネスがらみの殺人とみられたが、事件は事実上迷宮入りとなっている。
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