作家エフゲニー・ザミャーチン生まれる

エフゲーニー・ザミャーチン(1923年、ボリス・クストーディエフ画)

エフゲーニー・ザミャーチン(1923年、ボリス・クストーディエフ画)

1884年の今日、2月1日(ユリウス暦1月20日)に、アンチ・ユートピア小説『われら』で知られる作家エフゲニー・ザミャーチン(~1937)が、ロシア南部のタンボフ県に生まれた。

 彼は、父は司祭で、母はピアニストという、一風変わった家庭に育った。ギムナジウムでは優等生で、当然というべきか、とくに作文の点数が良かった。数学はどちらかというと苦手だったが、当人いわく「へそ曲がりのため」、わざわざペテルブルク理工科大学の造船学部に入学した。

 

へそ曲がりの造船技師 

 在学当時から革命運動に参加し、1905年の第一次革命に際しては、黒海の軍港オデッサで、戦艦ポチョムキンの反乱を目の当たりにしている。このころ、将来の妻リュドミラ(1883~1965)と出会っている。

 翌年、逮捕、流刑に遭うが、こっそりペテルブルクに戻り、しっかり大学を卒業して、造船技師となった。

 作家として注目を浴びたのは、粗野な地方の生活を特異な文体で描いた『郡部の物語』(1913)。

 1915年、造船技師として、イギリスの派遣され、砕氷船アレクサンドル・ネフスキー号(革命後にレーニン号と改称)の建造を監督した。1917年9月に、イギリス生活をもとにその偽善を暴いた『島の人々』(1918)を書いた。

 

ピンク色のクーポン券 

 ロシア革命後しばらくは、作家ゴーリキーらとともに、活発に創作、評論、出版など、多面的な文学活動を展開するが、ソビエト体制にも早々に幻滅した。

 1918年には、同体制を批判する短編『龍』を、ボリシェヴィキではなく、左派エスエル(社会革命党)の新聞に発表した。ちっぽけな人間が、制服に身を包み、龍になるという露骨に辛らつな内容だ。

 代表作『われら』(英訳版は1924年、ロシア語版は1927年)は、未来の徹底した管理社会を描いた作品で、人々はみな、自然から隔離されて、ガラス張りの家に閉じ込められていり、お互いが丸見えの生活を送っている。セックスも、ピンク色のクーポン券で管理されているという味気なさ(もっとも、そのときだけは、ブラインドを下ろしてもいいが)。

 

スターリンに出国を請願 

 ザミャーチンのこうした活動は、当局の逆鱗にふれ、激しい批判を浴びたすえ、ついに、あらゆる出版活動を禁じられるにいたった。

 1931年にザミャーチンは、ゴーリキーの仲介でスターリンに手紙を書き、出国を請願し、許しを得て、妻とともにフランスに亡命する。

 亡命先では、長編『神の鞭』やジャン・ルノワール監督の『どん底』のシナリオなどを書く。

 ザミャーチンは望郷の念に駆られながら、1937年、心臓病のためにパリで死去した。