1922年12月、ソビエト連邦結成条約が、ロシアのほか、ウクライナ、ベラルーシなど4共和国間でむすばれ、世界初の社会主義国家の誕生となった。
1924年憲法は、この26条項の条約が7章72条項に拡大され、1924年1月31日に採択されたものだ。
6回の改訂を経たのち、1936年には、「過渡期は終わり、社会主義が基本的に建設された」として、いわゆるスターリン憲法(1936年憲法)が制定される。
約70年後にソ連崩壊の法的根拠に
この24年憲法が最も大きな、実質的な役割を演じたのは、ソ連崩壊に際してかもしれない。1991年12月8日のベロヴェーシ合意は、24年憲法を法的根拠として主張しているからだ。
ベロヴェーシ合意は、ロシア・ウクライナ・ベラルーシの3国が、連邦からの離脱、すなわちソ連崩壊で合意したものである。
なぜ離脱が可能かというと、24年憲法は、連邦構成共和国がソビエト連邦を結成する条約であり、「自由な同盟」がうたわれているので、共和国は連邦から自由に脱退することもできる、というわけだ。
こうして、“自由に”結成されたソビエト連邦は、1991年に“自由に”崩壊させられたのである。
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