イサーク・ドゥナエフスキー、1914年。
1910年に家族はハリコフに移り、イサーク少年は、ハリコフ音楽学校に入学する。ヴァイオリンと音楽理論を学んだ。
1919年に同地のオーケストラのヴァイオリニスト、さらにコンサートマスターとなる。
翌20年には、ハリコフの劇場の作曲家兼指揮者となる。「フィガロの結婚」のために書いた音楽がデビュー作だった。
1924年にモスクワに移り、エルミタージュ劇場の音楽監督(24~26年)に就任。27年には、自作のオペレッタ『花婿たち』が、モスクワ・オペレッタ劇場に上演された。
「陽気な連中」の映画音楽が世界的にヒット
ドゥナエフスキーが一躍有名になったのは、ソ連製ジャズ・コメディー『陽気な連中』(1934年、グレゴリー・アレクサンドロフ監督)に作曲してからだ。この奇想天外でハチャメチャな喜劇は日本でもわりあい知られている。
とにかく多作家で、14のオペレッタ、3つのバレエ、3つのカンタータ、80の合唱曲、80の歌曲、88の劇音楽、42の映画音楽、43の軽音楽オーケストラのための作品、12のジャズオーケストラのための作品、52の管弦楽団のための作品、47のピアノ曲などがある。
耳につくメロディー
ドゥナエフスキーの代表作は、オペレッタ『黄金の谷』(1937)『自由の風』(1947)、映画『陽気な連中』(1934)、『サーカス』(1935)、『クバンのコサック』(1949)への音楽など。
彼の音楽は、親しみやすく、メロディアスで、一度聞くと覚えてしまう、というより、すごく耳につくので、どこかマニアックなところがあるかもしれない。ジャズから、荘重壮大な賛歌、悲壮な軍歌まで書きまくった彼は、あらゆる分野での“ソビエト音楽”の創始者と言えるだろう。
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