満州のロシア人写真展開催

V.K.アルセニエフ沿海州国立博物館「信仰・希望・満州:日本人学者山添三郎の写真に見るロシアの古儀式派 1938~1941」展が、モスクワのマルチメディア・アート美術館で2012年12月21日に開幕した。

甦る古儀式派の旧満州ロマノフカ村 

展示されている写真で、旧満州ロマノフカ村の古儀式派の農民の服装や日常生活を見ることができる。古儀式派とはロシア正教の一派で、17世紀のニコン総主教の教会改革に反対した保守派だ。ロマノフカ村は、ハルビンから東の牡丹江寄りにあった。

これらは生化学者の山添三郎さんが、1930年代終わりから1940年代初めにかけて撮影した写真で、その数は230枚にのぼる。山添三郎さんは、エスペランチストとしても世界的に知られていたが、2007年1月に98歳で死去した。単行本「ロマノフカ村」を残している。

驚くのは、写真に収められたロシア人の名前が、すべて表示されていることだ。それだけでもとても価値がある。これほど被写体の正確な情報が示された歴史展は、モスクワでこれまで開催されたことはなかったのではないだろうか。満州にソ連軍が進攻した1945年以降、世界各地へ亡命した村民に、同郷の人々の名前を思い出してもらい、それが2005年から2007年に記録された。

ロシアの成功例に学ぼうとした「満州開拓科学研究所」 

日本人がロシア人の農民に関心を示したのは、何よりも満州に興味があったからだ。日本人の農民を同じようにこの土地に連れてこようとしていたが、気候条件は厳しかった。そこで、賢い戦略家は、ロシア人入植者の経験から学ぼうとしたわけだ。山添三郎さんはこのように説明していた。「我々日本人学者を何よりも驚かせたのは、古儀式派の極めて高い適応力や創造力です。これがなかったら、満州の厳しい気候の中で生き抜いていくことはできなかったでしょう」。

山添さんは、「満州開拓科学研究所」の一員だった。この研究所は、満鉄の出資で1938年にロマノフカ村の近くに、この「モデル村」を研究するために設立されている。ロマノフカ村ができたのが1936年だったから、きわめて迅速な対応で、満鉄の担当者の目的意識の高さがうかがえる。

村は壊滅したが… 

ロマノフカ村は1940年代半ば、ソ連、中国、日本の3国の戦いの地となり、その後しばらく残っていた。そして、日本人の学者が大切に保管していた写真の中で、村は生き続けた。これらの日本人のおかげで、我々はロマノフカ村の住民を見て、名前や歴史を知ることができる。苦難の時代にあっても、その心、品格、自由を守り続けた村民たちの顔はなんと美しいことだろう。

ロシア文化研究者の中村喜和さんが、山添三郎さんの撮影した写真を博物館に提供しなければ、そしてウラジーミル・ポターニン慈善基金の「貴重コレクション・シリーズ」プログラムが写真集「ロマノフカ村の日々」を出版しなければ、この展示会を実現することは不可能だった。

この企画展の開催期間は2013年1月20日まで。

貴重な一次資料ということで、アルバム「ロマノフカの日々」も出版されている。

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