パーヴェル・トレチャコフの肖像(イリヤ・レーピン画、1883年)
パーヴェル・トレチャコフは、大実業家で美術収集家。兄セルゲイとともに、ロシア美術の保護者として知られる。
彼は、家庭で教育を受けて、50年代前半に家業を継ぎ、繊維業で大成功した。のちに金融業にも手を伸ばし、ロシア有数の大富豪となる。
当初から市に寄贈する意向
その一方で、早くから美術に関心をもち、50年代からロシア絵画の収集を始めたが、当初より、コレクションを啓蒙的な目的で市に寄贈する考えをもっていた。
たんに収集するばかりでなく、1870年代には、サンクトペテルブルクのイワン・クラムスコイをはじめとする移動展派を援助し、大量の絵画を購入してモスクワに運んだ。
厖大で多彩なコレクション
80年代に歴史画が流行ると「アブラムツェヴォ」派を集め、90年代にはイコンを収集するといったぐあいに、必ずしも一貫性はなかったが、コレクションは多様なものとなった。
また、クラムスコイ、レーピン、ペローフなど肖像画の名手に、ロシア文化人の肖像画を描かせるなど、みずからプロジェクトも発案した。
文豪レフ・トルストイは、大の肖像画嫌いであったが、彼の40代のポートレートが残っているのは、トレチャコフの意を受けたクラムスコイがトルストイを口説き落としたおかげだ。
「画廊を大切にしてくれ。みんな元気でな」
1892年には、兄セルゲイの遺品となった西欧絵画のコレクションも相続し、トレチャコフの画廊は、ロシア最高の美術館となった。そして、同年8月、彼は、美術コレクションを私邸ごとモスクワ市に寄贈し、翌93年に「トレチャコフ兄弟モスクワ市営美術館」が開館した。現在のトレチャコフ美術館の前身だ。
トレチャコフは、1898年末に亡くなった。近親者への最後の言葉は、「画廊を大切にしてくれ。みんな元気でな」であった。
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