モスクワの消防隊、1900年。
布告によると、人々が寄り集まる広場ごとに消防隊が置かれ、消防隊員は兵士で編成され、計786名になるはずだった。
実際に消防隊が編成されたのは翌1803年のこと。市民が夜警を出し、消防隊員を自腹を切って抱える義務から解放されたのは1804年である。消防隊の数は、初めは全部で11隊だったが、のちに、新たな地区の建設にともない12隊に増やされた。
同年の5月31日には、モスクワでも消防隊が編成され、やがて、両首都にならって、他の都市でも創られた。
市民の奮闘次第
とはいえ、常設の消防隊が全国に広がるまでには、少なからぬ歳月がかかった。例えば、トゥーラの兵器工場に消防隊が常時置かれるようになったのは、ようやく1835年のことだ。
ツァリーツィン(現ボルゴグラード)とその郡にいたっては、19世紀までプロの消防隊はなかったので、火災との戦いは、市民の双肩にゆだねられた。市の広場の木造の納屋に、消火機材が保管されてあり、2頭の馬と有料の御者がたむろしている。火災が告げられると、住民は、まずに納屋にすっ飛んで行き、それから機材を荷車に積んで現場に駆けつけるという次第。まともな馬力消防隊がこの市に創設されたのは、やっと1900年のことだった。
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