アポリナリー・ヴァスネツォフ、1921年。
モスクワに要塞建設
1156年、ロストフ・スーズダリ公、ユーリー・ドルゴルーキーの命令で、現在クレムリンがある場所に木造の要塞が築かれる。
ここは、ネグリン川とモスクワ川の合流地点にある丘で、天然の要害であり、交通の要衝だったばかりか、松林があり、前面には美しい草原が広がって、それが川で区切られているという景勝の地でもあった。
このクレムリン第1号の敷地は、4ヘクタールほどで、木造の城壁に囲まれ、堀と土塁で守られていた。ちなみに現在の敷地は約28ヘクタールだ。
モスクワ公国の興隆とともに
1339年、イワン・カリター公により、クレムリン拡張工事がはじまった。数ヶ月かけて堅固な木造の城壁が築かれ、敷地が広げられて、現在の大聖堂広場に、ウスペンスキー大聖堂、アルハンゲリスキー聖堂(歴代大公とツァーリの霊廟)など3つの寺院が建立された。
イワン・カリター公は、もともと(ロストフ・スーズダリ公国=ウラジーミル大公国)内の一公国にすぎなかったモスクワ公国の発展の基礎を築いた人物だ。
ドミトリー・ドンスコイによる石造のクレムリン
しかし、木造クレムリンは、1365年の大火のせいで、四半世紀ももたなかった。そこで1367年に、イワン・カリターの孫、ドミトリー・ドンスコイは、クレムリンを石造に改築した。
15世紀末には、イワン3世(大帝)のもと、イタリア人建築家により最新の建築技術が導入されて、全面改修がなされ、ほぼ現在の外観をもつにいたった。1508年には、イワン大帝の鐘楼(高さ81メートル)が建立された。
さらに、18世紀に、武器庫(宝物殿)や元老院、19世紀半ばに、700の部屋をもつ大クレムリン宮殿が造営されて、モスクワのクレムリンは最終的な完成をみた。
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