「ロシアになじめず号泣してました」

フィギュアスケートのペアの川口悠子とアレクサンドル・スミルノフ組  =Imago/Legion Media撮影

フィギュアスケートのペアの川口悠子とアレクサンドル・スミルノフ組 =Imago/Legion Media撮影

日本出身のロシアの有名なフィギュア・スケーターである川口悠子(31)は、オリンピックに出場するため、4年前に日本国籍からロシア国籍に変えたが、ロシアに来た当初は言葉の壁よりも、トイレ、水、電話といった日常生活の問題に悩まされたという。

毎日4時起きでスケート場へ 

 「フィギュア・スケートは5歳の時に始めました。父は普通の会社員で、わたしの家族はスポーツに何の縁もありませんでした。母がフィギュア・スケート、特にロシアのスケーターが大好きだったので、娘に有無を言わさずスケートをさせたのです」と、川口選手は自身が卒業したサンクトペテルブルク国立大学の「偶然が運命を決めた」という講義でこう話した。

子供時代に練習していたスケート場は、家から遠く離れていた。「スケート場に行くため、母が毎朝4時に私を起しました。練習が終わった後はいつも早く寝たいと思っていて、宿題はほとんどやりませんでした。小中高校はこのような感じで過ごし、友だちと遊んだりする時間はありませんでした。最初は嫌々ながらスケートをしていましたが、やがて自分の意志で滑るようになりました」。

ベレズナヤに理想を見る 

1998年の長野五輪でロシアのペア、エレーナ・ベレズナヤとアントン・シハルリドゼ組の演技を見られたことを、川口選手は今でも夢中になって語る。「それまでフィギュア・スケーターの理想というものが私にはありませんでしたが、ベレズナヤの滑りを見て、こんな風に滑りたいと思ったのです。恐らくこの時期に、スケートに対する思いが強くなったのでしょう」。

いくつもの偶然が重なってロシアに来たが、そのひとつがベレズナヤのコーチの名刺をたまたま手にしたことだったという。「その後どうなるかということをまったく考えずに、ロシアの偉大なコーチに手紙を送りました。知らぬが仏ということもあると時々思ってしまいます。返事は来ないだろうと思っていましたが、3日後に返事が来たのです」。

このようにしてタマーラ・モスクヴィナ・コーチの教え子となり、アメリカで4年間練習が行われた。「最初に教えられたのは、フィギュア・スケートに喜びを感じる、ということです」。最初の1年間はシングルのスケートを学んでいたが、その後ペアをやってみないかとすすめられた。

水、トイレ、電話に泣く 

しばらくしてモスクヴィナ・コーチがロシアに帰国することになり、川口もロシアに引っ越す決心をした。

「ロシアに移住することはとても大変でした。私は性格的に明るく楽天的ですが、冬の暗いロシアに引っ越してきて、笑顔を見せることも少なくなったように思います。2003年頃はダークカラーの服装が主流で、人々の電話の応対も丁寧ではなかったので、ロシア人全員がこうなのではないかと思ったからなのでしょう。でも話をした人たちはとても私に温かく、ギャップをうめてくれました。

来たばかりの時は、言葉ではなく、水、トイレ、電話という問題に苦しみました。私はロシア語は話せませんでしたが、言語に対する恐怖はありませんでした。水とトイレのことで泣いていたのに、みんな私がさみしくて泣いているんだと思っていました」。

国籍変更の決意 

ペアのパートナーは3回変わり、3人目がアレクサンドル・スミルノフだった。「スミルノフとは2006年から一緒に滑るようになり、2008年にはオリンピックも目指すようになりました。ロシア代表として出場する権利がなかったので、日本国籍を変えることについて考えるようになりました」。

日本国籍を捨てる決心をする難しさと、1年半かかった書類手続きについて、今でも昨日のことのように思い出す。「オリンピックも大変でしたが、それ以上に、オリンピック前の国籍変更に関するマスコミの注目の方が大変でした。マスコミから逃げたかったです」。

転機の北朝鮮行き 

ロシアの生活に対する考えが大きく変わったことのひとつは、北朝鮮に行ったことだったと語る。「電話もインターネットもなく、テレビチャンネルが3つしかない国だったので、ロシアで生活できて幸せだと思うようになりました。あのような国に行った人間は、笑わなくなると思います。北朝鮮から帰ってきて、物事に対する考え方が変わり、再び笑うようになりました。ロシアには良いところがたくさんあり、そのために私はここにいるのです。日本には何でもありますが、ロシアはそうではありません。それは大変ですが、おもしろいです」。

川口選手は今後、ロシアと日本のかけ橋になるような活動をするつもりだ。「ソチ五輪の後で何をする予定かと聞かれますが、まだそれは決まっていません。どこに住むかもわかりませんが、お世話になった人々にお礼がしたいです。今後の私の生活が、日本とロシアのために役に立てば良いですね。日露関係の仕事をしたいと思っていますが、それはスポーツとは関係ないものかもしれません」とスケートで数々のメダル受賞歴のある川口選手は語った。

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