警報システム誤作動で危機“一発”

=タス通信撮影

=タス通信撮影

国家が核ミサイルやミサイル技術を保有している場合、敵の攻撃を適時に察知できる能力は、戦略兵器システムの鍵となる。だが、この警報システムは常に正しく作動するとは限らない…。

実際、早期警戒システムの意義ははかり知れない。なぜなら、このシステムは、地球全体を監視ゾーンとする、「侵入警報器」にほかならないからだ。

ケース1:ノーラッドのコンピューターが誤作動 

警報システムの不具合により、地球規模の大事故が起こりそうになった有名なケースがいくつかある。最初に発生したのは1979年11月9日だ。

アメリカとカナダが共同で運営する「北アメリカ航空宇宙防衛司令部」(NORAD)、米国防総省(ペンタゴン)の「国家軍事指揮センター」、およびフォート・リッチーの「国家軍事指揮センター」のコンピューターが、次ぎのメッセージを発信した。ソ連がアメリカの核戦力制御システムの破壊を目的として集中的な核攻撃を行っている―。

すぐにこの3箇所で軍高官を加えた会議が始まった。すべての防空システムに警報が発動され、迎撃機10機以上と、大統領は乗らなかったものの、E-4機(国家空中作戦センター)が飛び立った。

しかし、メッセージ発信から数分間で、衛星から入った、最初の警告とアメリカを網羅するレーダーの初期データを確認したものの、どのシステムでもミサイル攻撃は確認できなかったため、警報を解除した。

後にこの騒動は、ミサイル攻撃を受けた際に状況を解析する目的でつくられたソフトが、待機状態にあったコンピューターに誤ってインストールされたために発生した、と判明した。

ケース2:マコーネル空軍基地で米ICBMが発射シーケンスに 

1980年6月3日、アメリカの司令拠点にまたもやミサイル攻撃の警報が入ってきた。1回目と同様、大陸間弾道ミサイル「ミニットマン」の発射装置に打ち上げ指令が入り、戦略爆撃機の乗員が飛行機に乗ってスタンバイしたが、コンピューターは、攻撃の明確な内容を示さず、不安定に変化する打ち上げミサイル数を表示し、しかも拠点ごとに違う数字を受信していた。多くの将校が前回と同様に半信半疑で対応していたが、またもや事態を判断するための緊急会議が招集された。状況を分析したところ、コンピューターの集積回路のひとつが故障し、打ち上げミサイル数ではない不規則な数字を表示したことがわかった。

ケース3:第三次世界大戦の瀬戸際 

もっとも劇的な事態が発生したのは、冷戦の緊張がピークに達していた時だ。人類を救ったのは、いまだに無名の中佐、スタニスラフ・ペトロフ(1939~)だったと断言できる。

1983年9月26日、戦闘待機したばかりのソ連製ミサイル攻撃警報システム衛星が、アメリカからの攻撃のメッセージを発した。

軍事・宇宙専門家であるユーリー・ザイツェフは状況をこう説明する。「太陽光が雲で強く反射するような位置に、衛星、アメリカのミサイル、太陽が並んだとは驚きだ。衛星は反射光をノズルからの火柱だと勘違いし、アメリカ大陸からミサイル5基が打ち上げられたというメッセージを送った」。

スタニスラフ・ペトロフの究極の選択 

規定では、ミサイル攻撃が発生すると、ロシア中部に位置する「セルプホフ15」村の拠点の当直が、迎撃の決定を行う政府に速やかに連絡しなければならなかった。アメリカ大陸で打ち上げられた弾道ミサイルはわずか30分でソ連に到着するため、当直だったペトロフ中佐には、「核スーツケース(核兵器使用コードが保管された装置)」使用の最終決定を行うユーリー・アンドロポフソ連共産党書記長に報告するか、または「われわれは誤った情報を発信している」と報告し、その後の全責任を自分が負うか、の究極の選択をするしかなかった。

書記長には15分の決定時間しかなかったから、きっとペトロフ中佐に核爆弾のボタンを押すよう命じていただろう。ペトロフ中佐は30種類の確認手段で、アメリカのミサイル情報が本当であるとの結果を受けたが、数十億人の命を脅威にさらすことはせず、規定に反して報告も行わず、核ボタンも押さなかった。

中佐は常識に照らして、ミサイル5基で開戦とは少なすぎると考え、コンピューターを信用しなかったため、世界を救うことができた。