ニヤズ・カリム
ロシアと日本の政治制度の類似点と相違点を考える際には、内閣と国会という政治機構のほかに政党にも目を向ける必要がある。
何十年にもわたり、ソ連には永遠の「政権政党」とみなされた共産党という政党しか存在しなかった。
日本の自由民主党は1955年に「政権政党」として左翼勢力への政権移行を許さない目的で創設された。しかし、自民党は、当初より複数政党制の下で活動しており、時には野党側からの厳しい批判にさらされてきた。
ソ連共産党はロシアにとってソ連崩壊後も政党建設のモデルであり続けた。1990年代初期の『民主ロシア』から現代の『統一ロシア』に至るまですべての「政権政党」はその類似を基本として形成されてきた。
1968年モスクワ生まれ。モスクワ国立大学付属アジア・アフリカ諸国大学及び同大学大学院博士課程卒業。歴史学・政治学博士。拓植大学日本文化研究所教授。著作は30冊を超えるほか論文多数。アジア調査会の第21回アジア太平洋大賞を受賞。
ロシア政界では「どんな政党を創っても結局はソ連共産党になる」と言われているが、ポストソ連の「政権政党」は複数政党制の下で活動しなくてはならなかっただけに必ずしもそうとは限らない。
日本の政権党だった自民党は1990年代から2000年代にかけてロシアの政治家たちにとって最も魅力的なものの一つであった。
日本の自民党は、愛国主義の保守的なリベラリズム、国家が大きく関与する市場経済、アメリカとの同盟に支えられた「自由世界」への帰属という概念に留まり、明確なイデオロギー的綱領をまとめようとはしなかった。
そのため多くの問題で見解が異なる会派やグループの存在を許してきた。
政治学の観点からすれば、自民党は一枚岩の政党というよりはむしろ妥協によって互いに権力を移譲しあう会派の寄せ集めであった。やはり結束の見られない現在の与党、民主党も、五十歩百歩である。
政党は特定のイデオロギー的基盤の上に建設され組織上一つにまとまったものであるべきだというのがソ連以来のロシアの政治に対する認識である。
これによって有権者は自分に一番身近な政治勢力に一票を投ずることができる。ロシア人からすると、日本の政党は共産党を除いてひどくのっぺらぼうに見える。
日本では正式な国政政党登録のためには5人以上の現職国会議員の参加が必要とされる。他方、ある政党がいくら国民に支持されようとも党員に国会議員が5人以上いなければ、選挙戦の過程において不利な戦いを余儀なくされる。
ロシアでは事情が異なり、正式の登録のためには最小限の党員数および一定数の地域支部が必要となる。最近まで政党の登録には1万人の党員が必要だったが、新しい法律では500人である。
しかし、様々な理由をつけて登録申請を却下できる司法省でのプロセスが待っている。このため、ロシアには政党と名乗る組織は多いものの、正式に登録された政党は日本よりも少ない。
ロシアでは行政機構を盛んに利用する一つの政党が選挙戦を有利に運び、その結果は推して知るべしであるが、日本は様子が違う。
民主党と自民党はいい勝負であり、そこへ小沢一郎氏や橋下徹氏によって旗揚げされた新党が割って入る。というわけで、総選挙前夜の日本の動きを興味深く見守ることにしよう。
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