=Lori/Legion Media撮影
1795年にスカーフの歴史に新しい息吹をもたらしたのは、パブロフスキー・ポサードと称される村が属していた当時のモスクワ県に70以上あった繊維工場の一つ、農民イワン・ラブジンの小さな工場であった。
パブロフスキー・ポサド市のショール工場の歴史は200年以上。1917年のロシア革命の後、国営化された。第二次世界大戦中はソ連軍のための布地を生産していた。現在はロシアで唯一、原材料から最終製品までの一貫した製造を行っている。
しかし、工場が今日のような専門性を帯びるようになったのは、ラブジンの子孫が同業者のワシーリイ・グリャズノフと共同で、染出し模様の施されたショールの生産を開始した19世紀中葉のことであった。
それ以来、パブロフスキー・ポサードのウールのショールやシルクのスカーフはロシア文化の不可分の一部となった。
工場は、革命、世界大戦、ペレストロイカを乗り越えた。部分的に残った最初の赤煉瓦、ソ連時代のレーニンの肖像、止まったままの壁掛け時計、今も労働者たちが出社と退社の際にそこを通る回転木戸など、その時々の歴史の跡が刻まれている。
ビャチェスラフ・ドルゴフ副社長の説明によると、競争がなかったソ連時代と違って、今では市場経済の下で東方から類似の製品が低価格で入ってくる。このため国の助成制度の支援を受けて市場に適応することになった。
「私たちはネットでも販売しており、20万人以上の方が一度はわが社のショールをオンラインで購入されています。サイトにはファンやマニアたちのバーチャルなサロンもできました」とドルゴフ氏は語る。
その彼がうれしく感じるのは、若者たちが彼の会社のスカーフをまとっているのを目にした時。「スカーフはお婆さんのものという先入観を私たちがふっしょくできたからです」と誇らしげだ。
ワシーリイ・グリャズノフは、先見の明があったばかりでなく、貧しい人々に手を差し伸べ続けた敬虔な正教徒でもあった。彼を聖列に加える決定はロシア革命以前になされていたが、実際にそれが果たされたのは没後130年を経た1999年のことだった。
ドルゴフ氏は、さらに「世俗的な企業でありながらも私たちはこの素晴らしい人物の庇護のもとにあるのを感じます。正教徒の女性たちの目には当社のスカーフはあたかも神秘的な後光を宿しているかのように映るのです」。
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