写真提供:Vladimir Gook
この巨大水力発電所は、レーニンの国家電化計画の一環として建設された。レーニンは1920年に「共産主義とは、ソビエト権力と全国の電化である」と規定していた。
この発電所の建設には、グレーブ・クリジャノフスキー以下の200人を越える技師と学者が参加した。
竣工後、建設を指揮したアレクサンドル・ヴィンテルが、科学アカデミー会員に選ばれた。彼は学術論文を発表していなかったが、推薦状には「ドニエプル川水力発電所を建設しただけで十分だ」と記されていた。
欧州最大
当時、この発電所は、欧州最大であり、ダムの長さは760メートル、高さは60メートルあった。
米国の「ニューヨーク・イヴニング・ポスト」紙は、「ドニエプル川水力発電所の建設は技術の勝利であり、どの国にとっても誇るに足る偉業だ」と書いた。
重工業化の牽引車に
この発電所の建設工事がずべて完了したのは、1939年4月16日のことで、出力は予定の56万キロワットに達した。
発電所の供給する電力を利用して、周辺には、製鉄、アルミニウム、マグネシウム、鉄合金、コークス化学などの工場、コンビナートが次々に建設され、稼動した。
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