ソルジェニーツィン, 12月1998年。=ロシア通信撮影
ソ連当局との対決
スターリン没後の「雪解け」の時代に、ソルジェニーツィンは書きためていた作品を発表し始め、1964年には、文芸誌「ノーブイ・ミール」の編集長トワルドフスキーの努力もあり、同誌に『イワン・デニーソビチの一日』が掲載され、世界の注目を集めた。これは、収容所の1日を抑制された筆致で描いた作品だ。
1967年には、ソ連作家同盟に対し、検閲の廃止を訴える公開書簡を送ったのを手始めに、しばしば公開状を発表するようになる。
1974年、ソ連最高会議幹部会の指令により、「ソ連市民にあるまじき振る舞いと、ソ連に対する中傷のかどで」、市民権を剥奪され、西ドイツに追放された。
名誉回復と再評価
市民権の回復は、ようやくペレストロイカ末期の8月16日のことだ。同年には、『収容所群島』に対して、ロシア社会主義連邦共和国国家章が授与され、90年代には主な著作が刊行された。94年に夫人とともに帰国し、旺盛な執筆、評論活動を展開した。
ソルジェニーツィンのノーベル文学賞受賞は、1958年のボリス・パステルナーク、1965年のアレクサンドル・ショーロホフに続き、3人目。
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