創刊号は英字新聞«Moscow News»であり、ソ連に滞在する外国人のために、初めは5日に1回発行され、やがて週刊紙となった。
しかし、戦後、「ユダヤ人反ファシスト委員会」の事件に連座し、1949年から1955年まで廃刊になった。
「ユダヤ人反ファシスト委員会」はもともと、独ソ戦への国際社会の支持を得るために創設され、ソ連当局も後援していたが、戦後は、その「国際主義」が逆に独裁者スターリンの警戒するところとなり、一連のユダヤ人の弾圧、迫害の発端となる。医師団陰謀事件もそのひとつだ。
スターリンの死後の1955年に復刊。以後、多数の英、独、仏をはじめ、多くの外国語とエスペラントで発行された。1980年のモスクワ・オリンピックを機に、ロシア語版も発刊された。
ペレストロイカのグラスノスチを推進
「モスクワ・ニュース」紙が世界の注目を浴びるようになったのは、1986年にゴルバチョフ書記長(当時)がペレストロイカを始めてからだ。
編集長に、ペレストロイカとグラスノスチの熱心な支持者であるエゴール・ヤコブレフが就任し、それまでのタブーを破るような記事が続々と掲載されるようになった。
例えば、内戦期の、資本主義的な要素を含む新経済政策(ネップ)を評価したエフゲニー・アンバルツーモフの論文、米国の対ソ強硬派の歴史学者リチャード・パイプスの論文、世界的な演出家で亡命していたユーリー・リュビーモフのペレストロイカ批判など。
現在、「モスクワ・ニュース」紙は、露英2ヶ国語で、ロシアのほか米国、イスラエル、ドイツ、オーストラリアで発行されており、50カ国以上で購読されている。
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