セルゲイ・エセーニン、1924年 |
教員養成学校を卒業して、1912年にモスクワに出る。印刷所などで働きながら、詩作をはじめる。15年、首都ペトログラード(サンクトペテルブルク)に移り、象徴派詩人のアレクサンドル・ブローク、アンドレイ・ベールイらと知り合い、20歳で処女詩集『ラードゥニツァ(招魂祭=復活大祭第一週の墓地での法要)』を出し、好評を得る。
エセーニンは、1917年の社会主義革命は歓迎した。当人の政治的立場は、ナロードニキや社会革命党の、いわゆる農民社会主義に属していた。
しかし、革命の現実に幻滅する一方で、西欧の物質文明にも失望する。彼は、愛人の舞踏家イサドラ・ダンカンとともに、21~23年に欧米を旅して回り、その実情を目の当たりにした。
1925年末、レニングラードのホテルの一室で、自らの血で記した死「さらば友よ」を残し、縊死しているのが発見された。謀殺説もある。
詩人を語るには、その詩そのものに語らせるにしくはない。エセーニンが1918年の内戦のさなかに、23歳で書いた詩を掲げておこう。はじめに拙訳、それから原文を示す。彼の懐の深さがわかる。読者に勇気を与えてくれるのは、だれよりも絶望の奥底を直視し、そこから立ち上がろうとした人だと思われる。
ナナカマドが赤らみ、
水が蒼みをおびる。
月が照り、物憂げな騎士が
手綱をとりおとす。
ふたたび木立の陰より現れる、
闇が、蒼い白鳥さながらに。
奇跡をもたらす聖骸を
翼にのせて運びきたり。
汝、わが地よ、ふるさとよ、
永遠なる百姓と犬の遠吠え、
しだれ柳の下なるヴォリガ(*伝説の勇士)さながらに、
汝は頭を垂れる。
立て、癒しのときがきた、
救世主が汝を訪れた。
白鳥の歌が
瞳の虹彩にやさしい。
黄昏の犠牲者が
すべての罪を贖う。
風の新たなさわやかさが
いや増す雪に匂う
されど、見えざる土は、
いよいよ温かい…
雨の日の汝を記憶しよう
われ、セルゲイ・エセーニンは。
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