写真提供:ロシア通信
サッカーは現在世界中で最も人気あるスポーツの一つになっているが、歴史は古く、有史以前にさかのぼると考えられる。しかし、近代スポーツとして成立したのは、イギリスのパブリックスクールでレクリエーション、スポーツとして行われるようになってからだ。
ロシアに持ち込んだのも、やはり本家のイギリス人で、サンクトペテルブルクの企業で働いていた人たち。彼らはいくつかのアマチュアクラブをつくり、仲間内で試合をして楽しんでいたのだが、なかなかロシア人に広く知られなかった。
この新種のスポーツがロシアのマスコミに初登場したのは、1888年秋に出たモスクワの雑誌「ハンター」だ。その紹介記事の筆者は、ヨーロッパで流行っている球技について、短く紹介し、ルールを説明しているが、その説明は、ラグビーなど他のスポーツとごたまぜになり、危険な格闘技風のイメージになっていた。筆者はこの短文を次のような文句で結んでいる。「こういう肉弾戦では、弱者は見物に回るしかないだろう」。
ついで、1891年に、医学博士E.M.デメンチエフが自著で、この新スポーツのルールの基本を紹介した。彼は、「屋外の新鮮な空気のなかで行われる、イギリスのスポーツ」を医学と健康の観点から評価し、「このゲームはロシアでも行うべきだ。それがイギリスのものだからではなく、すばらしいスポーツだからだ」と書いている。
とはいえ、このまともな紹介もわずか4ページの短いもので、掲載された本も1000部しか出版されなかったので、社会的な反響を呼ぶにはいたらなかった。
だが、ついにサッカーに大衆が接するときがきた。1893年9月24日、セミョーノフスキー競馬場で、自転車レースの合間に、「紳士にしてスポーツマンたちが」、この新スポーツを実演して見せたのだ。
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