リューリク=写真提供:ウィキペディア |
862年の今日は、原初年代記によれば、ロシア建国の日だ。
862年、ノブゴロドなどロシア北部、そしてボルガ上流域のスラブ諸族が、「海の彼方なる」ワリャーギ(ノルマン)に使者を送り、自分たちの「国は広くて豊かではあるが、秩序がない」として、統治者を招いた。
招きに応じて、862年9月21日、リューリクを長兄とするシネウス、トルボールの三兄弟がやって来て、それぞれノブゴロド、ベロオーゼロ、イズボルスクに居を定め君臨した。
リューリクの死後、その子イーゴリの後見役だった軍司令官オレーグが、882年にキエフを占領し、ここからノブゴロドにいたるドニエプル水系の通商路をおさえ、16世紀末まで続くリューリク朝の礎を築いた―。
これがロシア建国についての言い伝えだが、原初年代記は、12世紀初めに政治的勝者がキリスト教的世界観にもとづいて編纂したものであり、さまざまな歴史の書き換えがなされていると考えられる。リューリクとは何者か、異なる政治的、経済的基盤をもったノブゴロドとキエフ・ルーシは単一国家として発達してきたのかなど、ロシア建国の経緯には謎が多い。
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