=Lars Söderström撮影
西側に衝撃
Tu-104は、営業運行したジェット旅客機としては、イギリスの「コメット」(1949年初飛行)に次ぐ2番目の機体。ツポレフ設計局が最初に開発したターボジェット双発旅客機だ。
1956年にソ連最高指導者ニキータ・フルシチョフがイギリスに同機で訪問した際に、西側にも知られるようになった。
当時、イギリスの「コメット」は、金属疲労が原因で、再三墜落事故を起こし、営業運行停止に追い込まれていたので、Tu-104の出現は、西側に衝撃を与えた。
Tu-104の導入は、ソ連共産党第20回大会で決定され、同機の試験飛行の段階から、パイロット、整備員、技術スタッフが養成された。
翌57年にはニューヨークへ
初飛行は1954年で、1956年9月15日には、モスクワ―イルクーツク間に定期周航した。
離陸から7時間10分後、4570キロを飛行して、イルクーツク空港に着陸。パイロットは、E.P.バラバシ。従来のレシプロ旅客機より約3倍早かった。
最大速度は時速950キロで、巡航速度は750キロ。座席数は最大100。
56年から直ちにアエロフロートの主力旅客機となり、翌57年9月には、モスクワのブヌコボ空港からアメリカのニューヨークに飛行した。この快挙は、西側のマスコミによって、ソ連のジェット機開発における優位性を示すものとして報道された。
Tu-104は、急降下して短時間無重力状態をつくりだすことで、宇宙飛行士の訓練にも用いられた。
最後のフライトは1986年。2006年4月11日に、ブヌコボ空港近くに、Tu-104の記念碑が設置された。
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