「ロシア帝国地図帳」
18世紀のロシア帝国の躍進において、かけがえのない「伴侶」となったのが地図である。16世紀から地図製作の試みは行われており、1552年には、イワン雷帝がモスクワ公国の地図作成に着手している。縮尺の大きい、多少なりとも詳しい全国地図がロシアで作られたのは17世紀末のことだ。
ピョートル大帝と偉大な数学者レオンハルト・オイラー
測地学にもとづく本格的な地図作りが始まったのはピョートル1世(大帝)の時代で、その成果が、大帝の死後の1745年に結実し、19葉からなる「ロシア帝国地図帳」が9月13日に出版されるにいたった。
制作したのはロシア科学アカデミーで、作業を指揮したのは、スイス生まれの偉大な数学者、物理学者であるレオンハルト・オイラー(1707~1783)。この地図には、ピョートル時代以来の測地と調査、研究が結実していた。
また、この地図では、ベーリング、シパンベルグなどの航海上の発見を集成し、初めてオホーツク海域がほぼ正確に示されている。
ロシアの巨大な版図の正確な地図を作るのは、当時としては不可能なことであり、作業は困難を極めた。地図はドイツ語、フランス語、ラテン語に翻訳された。
「ロシア帝国地図帳」は世界の地理学史上、画期的な成果で、当時これに匹敵する地図はフランスのものしかなかった。
奇しくも、「ロシア帝国地図帳」が出た1745年には、日本の伊能忠敬が生まれている。彼が足かけ17年をかけて全国を測量し「大日本沿海輿地全図」を完成したのは1821年(文政4年)のことだ。
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