露仏協商締結

1891年の今日、露仏協商が締結された。やがてこれは、1894年に軍事同盟の露仏同盟に発展することになる。

ドイツ帝国宰相ビスマルクは、三国同盟を結び、フランスを孤立させる政策をとっていた。そのために、ロシアとの外交も重視していたが、ビスマルクが1890年に辞任したのを機に、フランスはロシアに接近した。

フランス資本で工業化 

ロシアにとっても、フランスによる投資などのプラスがあり、早速同じ1891年には、主にフランス資本でシベリア鉄道建設が始まった。

推進したのは、運輸相ついて蔵相となるセルゲイ・ウィッテだ。彼は1890年代にロシアの工業化(産業革命)を推し進めたが、これにはフランス資本が大きかったのである。

行き着いた先は世界大戦 

ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が、イギリスとまともに張り合う膨張政策をとるようになると、やがてイギリスも、露仏同盟に加わり、20世紀初頭に三国協商が結ばれる。

その結果が第一次世界大戦となったが、戦前に、ウィッテはこう警告を発していた。仮にロシアが、ドイツ、オーストリア、イタリアに勝ったとしても、中欧に軒並み共和国を誕生させるだけだ、負けても勝っても碌なことはない、と。