旗にされた鳥、殺められた龍

=Alamy撮影

=Alamy撮影

「ロシアの国章に描かれているもの、その由来や象徴するものとは?」。テレビのクイズ番組では物知りなの生徒たちによくこんな問題が出される。けれども、答えられるのは10人に1人か2人といったところだ。
「正しい」解答とみなされるのは、ふつう次のようなものである。
ロシアの国章がお目見えしたのは、モスクワ周辺のロシアの領土を統一した皇帝イワン3世が最後のビザンチン皇帝の姪であるゾエ(ロシア語名ソフィヤ)と結婚した1472年のこと。

皇帝イワン3世の印章、1472年

双頭の鷲(すでに没落していたビザンチン帝国の国章)は大蛇(ドラゴン、キリスト教では悪魔)を殺める騎士というモスクワの紋章と合体した。鳥の双頭は東西を臨み、鳥が守る広大無辺の帝国を象徴する。鳥の足は王権の二つのシンボル、すなわち、王笏(戦棍 = 国防)と王権標(天球 = キリスト教の父なる神)を掴んでいる。
胸部の騎士は聖ゲオルギオス(ロシア語名ゲオルギー)。キリスト信仰を貫いて異教徒の拷問を受けて殉教した聖人だ。死後、大蛇のくびきにあえぐ町に現れる。大蛇は月に一度、若い女性を食らっていた。
いよいよ王の娘の番がくると、白馬に乗った聖ゲオルギオスが現れ、槍で大蛇の口を突き通した。ロシアのキリスト教は異教徒に勝利し、善が悪を制したのである。

ロシア帝国の国章、1883-1917年

1917年の革命の後、この国章は廃止され、それに代わる新しいソビエトの国章が考案された。宗教は国家から分離されたのだ。ところが、ソ連崩壊とともにロシア国民は旧来の伝統に回帰し、キリスト教的な国章がよみがえったのである。
一般に認められた現在の国章の解釈は「双頭の鷲、それはロシアの国家的そして精神的な支柱の象徴である」(ロシア連邦政府のサイト)とされる。だが、もう少し深く掘り下げると興味深い逆説が露呈する。
まず第一に、双頭の鷲はキリスト教やロシアとは一切無関係で、ロシアの紋章学では十分に解明されていない。
公式的には(少なくとも歴史の教科書では)、この象徴はキリスト教の皇帝の最高権力とモンゴル・タタールのくびきからのルーシ(ロシアの古称)の解放を表している。しかし、ロシアのキリスト教受洗は10世紀であるのに、この象徴の起源は3千年以上も前にさかのぼる。
インド・ヨーロッパ語族の民族である古代のヒッタイト人によってすでに用いられており、ヒッタイトの王のシンボルだった。異国の侵略者との戦に臨む戦士たちは真っ二つに裂いた猛禽を盾に吊るしていた。攻めてくるならこうなるぞ、と敵を怯ませるためだ。
当時「磔にされた」鳥の上に十字が添えられていたが、これはキリストの十字架ではなく斧を交差させたもので、古代のインド人が縦に裂いた鳥の上に冠せていた初期の鉤十字である。
18世紀まで、縦に裂いた鳥と鉤十字は、プロイセンの建物の扉の上に見られた。まさにその地で、ロシアに攻め込んだナチス・ドイツのイデオロギーに起点が置かれ、2千万人のソ連人の命が奪われた。それなのになぜこの国の民はそうした国章のもとで暮らすのだろう、という疑問が湧いてくる。
ササン朝ペルシア(紀元1世紀)の王、そして、後のアラブの統治者たちは、双頭の鷲を自国の硬貨に描いた。それが勝利の象徴とみなされていたのだ。
けれども、誰の、誰に対する勝利なのか? そこになぜロシアとキリスト教なのか? ある意味で、ロシアの国章は、私たちにとっても子供たちにとっても格好のパズルなのだ。