「日曜日」アンドレイ・リャブシキン
1897年の今日、ロシア帝国は、日曜日を公式に休日と宣言した。
ヨーロッパでもロシアでも、勤労者は、農奴制さながらの扱いのせいで、しばしば日曜日も労働を強いられた。時代が下るにしたがって、休日に関する法律が作られはしたが、19世紀になっても、日曜労働は禁止されなかった。
工場、鉱山、商店などでの日曜労働はめずらしくなかった。社会の経済活動が複雑になるにつれて、より多くの労力が必要になっていったからだ。
こうした状況のなかで、知識人のあいだでは、トーマス・マコーリー(1800~1859)の次ぎのような考えが根付いていった。
「(日曜を休日に定めても)、この日が失われるわけではない。あらゆる産業活動が止まり、が置かれ、工場の煙突から煙が出なくなっても、まさにこの間に、富を産み出すための最も重要な活動がなされているのだ。すなわち、機械のなかの機械、それなくしてはワットとアークライトの発明も意味をなさないものが“修理”されている。人間が休んでいるのである」。
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