プーチン外交、訪独から米露より欧露関係を先行

『グローバルな政治におけるロシア』誌 編集長 フョードル ・ルキヤーノフ

9年前(2003年)、ロシアとヨーロッパの関係に歴史的変化が見られた。戦争で終わった深刻な国際危機で、ロシアは初めて西側の大国と同じチームの一員となった。

もちろん、これは、NATO内の分裂およびフランスとドイツ側からの強い反発を招いたアメリカの対イラク戦争のことである。

20 世紀後半にはグローバルな安全保障と世界秩序の見方がほぼ一致していたアメリカとヨーロッパがもはや一枚岩ではなくなった。さらに、西側に対抗するものと見なされてきたロシアがそれとは違った関係にあることが明らかとなった。

ウラジーミル・プーチン氏は、イラク問題によって対米関係を悪化させたくはなかった。2001年9月 11 日以後も、ロシア反テロの枠内で軌道に乗り始めたかに思われた米国との関係をイラク問題で損ねることをためらった。

急激な変化が見られたのは、2003年2月にプーチン氏がベルリンとパリを相次いで訪問した時である。ベルリンではまだトーンが抑えられていたが、パリでシラク大統領との会談を終えると、プーチン氏は唐突にアメリカの一国支配を批判し世界の多極化を唱え始めた。

事態は、戦争に反対する国々の見方に沿って推移した。アメリカはその後8年に及ぶ内戦に巻き込まれた。結果的にはアメリカの不倶戴天の敵であるイランの立場を強めることとなった。ロシアとアメリカの関係は、ウクライナの『オレンジ革命』、東欧のミサイル防衛(MD)などをめぐり、急速に冷え込んだ。

プーチン氏がアメリカとの不和を招いても、ヨーロッパとロシアの関係に質的変化は起こらなかった。欧州連合(EU)が統合熱のピークを迎えた後に失速し始め、やがて統合モデルの深刻な危機に陥ったという背景がある。

3期目の最初の外遊でプーチン氏は2003年2月と同じベルリンとパリというコースをたどる。

しかし、親友のシュレーダー氏やシラク氏の代わりに、現実路線が際立つアンゲラ・メルケル氏と、面識のないフランソワ・オランド氏がいる。9年前には世界をかっ歩していた単一通貨ユーロは存亡の危機にある。一部には、アメリカが欧州の状況に無関心だとさえ映る。

一方、ヨーロッパに対するプーチン氏の前向き姿勢は変わらない。欧州の二大主要国への訪問がサンクトペテルブルグでのロシア・EUサミットに先行したことは象徴的だ。

力の中心が太平洋地域へ移りつつあるなかで、ヨーロッパの主要国にはさらなるEU拡大の潜在力は残されていない。プーチン氏の望んだように、価値観ではなく産業エネルギー連合に基づいて、ロシアと接近することを妨げてきたEUには、ほころびが見える。EUは、いずれにせよ、抜本的に変容し、共存の原則と統合のモデルそのものを見直さなくてはならない。

「グローバルな政治におけるロシア」誌抄訳

フョードル・ルキヤーノフ氏( 45 )はモスクワ国立大学文学部出身、1990年より国際ジャーナリスト、国際モスクワ放送、『セボードニャ』、『ブレーミャ MN』、『ブレーミャ・ノボスチェーイ』の各新聞に勤務。ロシア外交国防政策評議会のメンバー。