=コメルサント通信撮影
昇る太陽
スヴィリデンコ氏のビジネスは、意外にも自転車の旅から始まった。モスクワ大学在籍中に同級生と人口知能分野のソフトを開発した後、1990年に学生交換プログラムでドイツのハイデルベルク市に行き、自転車に乗って各地のIT企業を巡り、ソフトを売り込み始めた。対応したドイツ人はこの若きロシア人の訪問に驚きつつも興味を示し、ある一社が製品のコピー・ライセンスを10件分、当時としては破格の高値となる1万ドルで購入した。
1992年、Spiritを会社登録して事務所用のアパートを借り、一人当たり月30ドルの給与で学友を数十人採用して、ソフトの第2版の開発を始めた。
同時に、日本で研修を受けた学友の一人が、Spiritの代表になることに同意してくれた。日露友好協会を通じて日本のIT企業と連絡を取るようになり、スヴィリデンコ氏も自ら行動を起こし始めた。
東京に行って一日に4カ所ずつまわりながら営業を行い、Spirit社の人口知能分野のソフトを売り込んだ。販売契約はまとまらなかったが、NECがナビゲーション・ソフトの開発を提案してきた。スヴィリデンコ氏によれば、当時のNECは「世界最大の半導体チップメーカー&イノベーター」であり、今のAppleのようだったという。
NEC向けに3件のプロジェクトをこなして以来、日本企業との交流は楽になった。1997年、Spiritは東芝のゲーム・コンソール用に「コンピューター・ビジョン」を、日本無線、岩崎通信機、古野電気などの企業向けにコミュニケーション・ソフトやナビゲーション・ソフトを、それぞれ開発し始めた。だが、1998年に日本が不況に陥り、その半年後にSpiritの対日ビジネスは終焉を迎えた。現在、日本関連の売上額は総売上額の5%以下となっている。それでもスヴィリデンコ氏は落胆することなく日本との関係を維持し、国際IT見本市にも足を運ぶようになった。
電話の失敗
2000年代半ば、ビデオ電話がホットなテーマとなった。高額な3Gを展開する携帯電話会社や電話メーカーによる電話では、それを重いトラフィックでダウンロードしなければならなかったため、ビデオ通話機能のある電話を開発することが焦眉の課題となった。
携帯電話会社は、このサービスが市場を席巻すると考えていたが、加入者の5%ほどしかこれを評価しなかった。だが、Spiritはビデオとボイスのサポートを電話のデフォルト設定にしたため、利益を上げることができた。例えば、Spiritのビデオ・エンジンはLGとHTCの機器に、ボイスはiPhoneとSamsungに、といった具合である。スヴィリデンコ氏によれば、Spiritのソフト・プラットフォームは、80カ国で2億チャンネル以上を確保しているという。
現在は、エンド・ユーザーが完成品を必要としているため、他のメーカーへのエンジンの販売を抑えている。このような需要が、2011年にマルチユーザー・ウェブ・ビデオ会議サービスを行うVideoMost社の設立につながった。
調査会社IDCの評価によれば、ビデオ会議ネットワークの世界市場は2011年に27億ドルと、前年比20.5%の伸びを見せている。ソフトウェア企業のTrueConfの評価では、ロシア市場は8000万ドルで、年間成長率が25%にのぼっている。市場を支配しているのがCiscoとPolycomだ。
競合のMicrosoft LyncのソフトやTrueConfのサービスと比較すると、VideoMost社製品の作動は普通のウェブカメラ付きコンピューターかタブレットで十分なため、Spiritと違って控え目に見えるが、製品価格、サービス、また会議中に9人までの参加者を映し出せるなどの点で、Microsoft LyncやTrueConfより優位にある。
ロシアでは、有料のビデオ・サービスを利用する顧客がまだまだ少なく、SkypeやGoogle Videoなど、利用者の多い無料の有名サービスを好む傾向にある。「数百万人のユーザーを得るには、国家サービスを一つ立ち上げ、国家機関にその利用義務を課す必要がある。『ロシア版Skype』は多くの役人や携帯電話会社の夢だが、残念ながら、必要性を迫らなければ導入には至らないだろう」とIT分野の専門家らはみなしている。
(「アガニョーク」紙抄訳)
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