クールなマニア 明日拓く

ロシアに漫画家ヒフスさん(Pavel Suhihという名前の逆さ読み)

ロシアに漫画家ヒフスさん(Pavel Suhihという名前の逆さ読み)

ロシアの日本文化愛好者たちにとって今年は特別な年だ。漫画『ドラえもん』が連載開始以来43年を経て初めてロシア語で正式に発刊される。もちろん、その翻訳者である私は、のび太くんや機転の利くロボット猫がチェブラーシカのようにロシアの子供たちに愛されることを切に願っている。

ただ、今のところ買い取られた出版の権利は45巻のうちの最初の4巻分のみ。日本の著作権所有者も、ロシアの出版者も、書店も、はたしてコミックの伝統が未だに根づいていない国でこの本がよく売れるものかどうか、断言できずにいる。今もなお、バスや地下鉄でコミックを読み耽っている大人は、大半のロシア人にとっては、明らかに何かが「足りなくて」、「真面目な」文学を読まない「変な人」に映っているのだから。

とはいえ、ネットのユーザーたちは、ロシアでの『ドラえもん』刊行のニュースを熱狂的に歓迎した。いったいロシアではここ数年で何が変わったのだろう?

1990年代末にはロシアでは日本の漫画やアニメに夢中になるのはごく一部の未成年のマニアに限られていた。これらの「インディゴ・チルドレン」は、親にも、同年輩の大人たちの多くにも、理解されなかった。彼らは、日本語を独習し(時には英訳されたものを翻訳し)、有名な傑作漫画のオリジナル版をネットに掲載し、自分の「ファンジン」(同人誌)の海賊出版のための資金を集めていた。彼らは、でたらめに翻訳し、「勝手に」創作し、間違いだらけのロシア語で書いた。こうした有り様を見て、まともな親たちはみんな、「漫画とは何かいい加減で低劣で軽薄なもの」という感じを抱くのだった。

「クールな気違いたち」 

それでも、村上春樹氏の言い方を借りれば、これら14~17歳の若者たちは、みんなと同じように見られることを欲せず、また他人の目にそう映ることをも怖れない「クールな気違い」だった。ソビエト体制の遺物の上に彼らはカウンターカルチャー(対抗文化)の基礎を築き、まさに「エキゾチックな」日本が彼らのクリエイティブなファンタジーの恰好のベースとなったのだ。

そして、やがてこれらの若者たちも親となった。彼らの多くはプロとして活動することを覚え、とくにモスクワやサンクトペテルブルグやエカテリンブルグでその数がかなり増えると、若者たちの運動が起こった。そして、2002年以来、その先頭に立っているのは、私がこの国で出会った恐らく一番「クールな気違い」である。彼は、ヒフス(Pavel Suhihという名前の逆さ読み)というニックネームでロシアのすべての漫画ファンに知られている。

1週間前に彼は自分のフェイスブックにこう綴った。

「ジャングルで目が覚めた。制服一式を纏って。ハンモックで。iPadを顔に被り、全身蚊に食われている。鳥たちの甲高い啼き声のもと。まるでキップリングのよう…」

ヒフスは、現在43歳で、いつも旅をしている。ベトナムのジャングル、ヨルダンの砂漠、チベットの山並みなど、目に映るすべてのものを絵や文字で描写し、様々な国の神話を織り交ぜている。彼の著書『コスモゴネボ』(2009年)は、異星人とインドの神々が登場するパンテオンの物語だ。

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異文化を旅せよ 

少年時代、彼はデンマークで過ごし、西欧のコミックの伝統に接した。1979年に彼は、ソ連共産党史の教師が異星人に誘拐されたという設定でコミックを描いたところ、反ソ宣伝と決め付けられ、危うく退学させられるところだった。

ヒフスはこう述べる。「ロシアを変える唯一の方法は才能あるすべての者を若いときに外国へ行かせてしばらく住まわせることだ、と言ったピョートル一世は正しかったのです。初めは大変ですが、やがて紋切り型が崩れてきます。芸術やイノベーションのためにこれは不可欠です」。

毎年4月に彼はモスクワにやってくる。世界中の漫画好きが集う毎年恒例のフェスティバル「コム・ミッション」が開催される時期なのだ。


ヒフスさんの作品

 ヒフスさんの作品

「日本人は別次元の人たち」

ヒフスの日本観は一筋縄ではない。彼はため息交じりにこう語る。「日本人は何といってもたいへん内向きですね。何年も自分のパトナーのことを調べます、奥さんを選ぶみたいに入念に。『ドラえもん』の著作権についての交渉は2年かかりましたが、これはまだ早い方! コミックそのものに対しても彼らはとてもシリアスですね。2003年に私は日本政府の招きで或る大手の出版社を訪問しましたが、そこはシェルターのようでした。警備が3重で、私は爆破装置やレコーダーや盗聴器を持っていないか調べられ、その後3時間も尋問されました。終わるころには、彼らのロシアのエージェントたちが私を調べると告げられました…(笑)。総じて、日本人はきわめて特別の次元の人たちですね」。

それでも日本の漫画に対する関心は非常に高く、2011年の「コム・ミッション」は日本のテーマを特別に取り上げ、ロシアの漫画ファン向けのマスター・クラスを開くために日本から漫画家を招聘した。

ところで、ロシアの漫画の特性は、それらが決まって「文学的なものにされて」いることで、だいたい3対7の比率で絵が言葉に添えられるという点にある。「ヒフスの指標」によれば、それがロシアで漫画が一番よく売れる比率だという。

ヒフスさんの作品

「新しい人たち」を育てる 

ヒフスは、漫画家であるばかりでなく優れた教師でもある。彼は、自分でもいくつも持っている褒章などではなく、子供たちの歓喜の声こそ、その漫画家が認められていることの何よりの物差しであるとみなしている。

もう4年前から彼は、漫画好きの子供たちを集めて「未来は今日」というキャンプを開催している。モスクワ郊外の森で3週間を過ごし、その間にアニメを制作し、芝居を上演し、様々な手仕事の技術を身に付け、新しいスポーツを考え出して大会を催し、武術を学び、雑誌を出版し、ビデオクリップを撮影する。

「私たちはこの国のためにクリエイティブなエリートを創り出しているのです。もしも私たちが今ここで創り出さなければ、明日のこの国で暮らすことはできません。『新しい人たち』を育てられるのは私たち自身だけなのです」。

昨年、この「最もクールな気違い」は、モスクワの或る大学のコミック講座の主任に就任し、「文学の国」ロシアで初めて漫画芸術の正式の教師となった。

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