「小説が終わっても物語は続く」

ドミトリー・コワレーニンさん

ドミトリー・コワレーニンさん

ドミトリー・コワレーニンさん・村上春樹翻訳家・エッセイスト

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日本人は天才的なDJ

 私の前には大きなティーカップとドミトリー・コワレーニンさん。彼は今『1Q84』第3部の翻訳に余念がない。ロシアの大勢のムラカミファンが刊行を心待ちにしている。それなのに翻訳のじゃまをして気が引けるなあ、と思いつつ、ムラカミその他について思い切り根掘り葉掘りうかがった。

プロフィール

1966年生まれ、サハリン出身。

翻訳作品一覧:

村上春樹『羊をめぐる冒険』、『ダンス・ダンス・ダンス』(翻訳に対して2002年にロシアSF賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『アフターダーク』、『1Q84』藤原伊織『てのひらの闇』トム・ウェイツ、ロジャー・ウォーターズ歌詞

著作一覧:『スシ・ノワール』、

『コロコロ』等

www.susi.ru, virtualsushi.livejournal.com

 ドミトリーは長年通訳として働いていた。新潟港だけでも9年間。ムラカミと出会ったのは、そこのロックンロール・バー『ハレルヤ』で、1993年のこと。バーの店主が彼にムラカミの本を2、3冊貸してくれた。

 「『羊をめぐる冒険』を読み始めるや、『ハレルヤ!』と心中で叫んだ。並外れたストーリーがそこにあり、早くも2ページ目で私は、作者が日本人であることを忘れた。しかし小説を読み終えると、これを書けるのは日本人しかいないと悟った。読んでいる最中には、自分も日本人になったような気がしていた」とドミトリーは自著『スシ・ノワール』で回想している。

  彼は、この「羊」をめぐる物語を、日本のワープロでたどたどしくロシア語に訳し始めた。「毎晩、北海道の『鼠』(*複数の村上作品の登場人物)の父親の屋敷さながらの、雪に覆われた家のなかで、たった独りで」。

 1997年末頃、『羊』はロシアに正式にお目見えした。読者から訳者に「ありがとう、おかげでまた読書するようになりました!」といった手紙が何通も届いた。

 「私はあの動乱の1990年代を憶えています。どこもかしこも思想的倦怠がはびこっていました。あのペレービンだって、やっぱり暗いしね…。私は新しい物語が欲しかったんです。そこへどんぴしゃり!1970年代末の米国作家たちが日本の一つの坩堝のなかで鋳直されたんですね」。

 『羊』をドミトリーは日本のヒッピー世代へのレクイエムと呼んでいる。1960年代に、日米安保条約延長に反対して立ち上がり、バリケードを築いて戦った者たちへの。

 「それはおそらく、既存の体制に反旗を翻す日本の若者たちの最後のアクティブな行動でした。その後、みんな抑圧され型に嵌められ、若者たちは無関心で消極的になったのです」。

 その結果今の日本ができあがり、それは、そのあらゆる矛盾をも含めて、ムラカミの最新作『1Q84』に鏡のように反映されている、と言う。

 「日本人はもはや何の『主義』も信じていません。資本主義、共産主義、その他の「世界をより良くする」方法は、自らその威信を失墜させました。そして人々は、それぞれの利益と興味にしたがって、小さな集団に閉じこもってしまいました。なぜなら、もっぱら物質世界で生活することは、たかだか社会的な保障をもたらすにすぎず、決して喜びはもたらしてくれませんから。人々は信じたり喜んだりすることをやめてしまった。この点で日本はロシアによく似ています」。

 

宇宙の向こう側を鍵穴から覗きつつ 

 ムラカミの文学的手法をドミトリーは、米国の映画監督、デビッド・リンチの手法に擬している。すなわち、周りの物事すべてが、どこかで主要な「物語」が進行していることを仄めかしているものの、観客は、ただ狭い小窓をのぞき込み、「向こうのどこかにある真実」を推測するばかりなのだ。

 しかし、そもそも人間は世界をそのようにしか捉えることができない、とドミトリーは言う。「たとえあなたがどんなに優れたカメラであったとしても、どのみち断片しか捉えることはできません」。

 「『ワンダーランド』の最後のページを閉じると、しばらく座って壁を見ていたのを私は憶えています。まるで有史以前の魚たちが黙って私の頭のなかを泳いでいるような感じでした。つまり、小説は終わってページは閉じられても、物語は続いているのです」。

 ドミトリー自身も、「少しだけど誠実に」作品を書いている。「今日の世界は羅針盤を失って、現実感を喪失しています。万物はどこへ向かって動いていくのか―。その動きは、ときおり断片的に感じとれるにすぎません。しかし私は、まさにそうした感覚を待ち構えているのです」と彼は説明する。

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サハリンへのムラカミとの旅 

そして『1Q84』誕生 

 2007年、ドミトリーは20年ぶりに生まれ故郷サハリンへ戻った。独りでではなく、ムラカミと「東京するめクラブ」の愉快な仲間たちとともに。

 「サハリンには、日本とロシアの歴史が渾然一体となっています。ところが、このユニークな島はほとんど文学作品に描かれていません。恥ずかしいことです! 19世紀にはここは、ロシア全国から徒刑囚が送られていた監獄島でした。その小さな一角ごとにそれぞれの歴史があるというのに」。

 「私はこんな感じがしていました。私のすぐ隣に大きなメガフォンがあって、それを使って全世界に何か大切なことを伝えることができる、というようなね」とドミトリーは明かす。

 ムラカミ自身は、旅のあいだずっとチェーホフの『サハリン島』などを読んでおり、この島の歴史に強く惹きつけられていた。

 そして、長編小説『1Q84』が生まれた。そこでは、サハリンの不思議で悲劇的な歴史について語られており、チェーホフが何度も引用されている。とりわけ、先住民ギリヤーク人(ニヴフ人)たちについて。彼らは、舗装された道を歩くことができないかわりに、森の小径なら自在に歩ける。これはムラカミにとって、自分の道を見いだそうとしている現代人の姿と重なった。

 サハリンでの「文学的冒険」を、ドミトリーは、「息子の誕生の次に、自分の人生でいちばん面白かった」と言う。こうして彼は、歴史に「ささやかな痕跡」を残した。

 彼には別の「痕跡」もある。例えば、彼の尽力のおかげで、1999年にロシアの伝説のミュージシャン、ボリス・グレベンシチコフが日本公演にやってきた。

 

世界を踊らせるDJ 

 「日本人はいわば天才的なDJで、できるものは何でもミキシングします。自分たちの開発したもので世界をより快適なものにしていきます。日本人は、何か既にあるものを混ぜ合わせて、新しいまたとない味わいを創り出すのです」。

 ムラカミも同じく、全世界の巨大な聴衆を掴んだ。しかも、単に佇んでいることができずに身を震わせて踊らずにはいられない創造的な人たちを。

 「ムラカミは社会の良心です。彼のおかげで私たちは日本人の心の悩みが分かります」。ムラカミは、福島での惨事の直後、スペインのカタルーニャのフォーラムで日本の原子力政策を批判した。このスピーチがよい例だ。

 「今のところ『1Q84』は壮大な三部作です。今日の日本社会を映す三面鏡のようなもの。けれども、第4部、第5部が現れるかもしれません。彼がよくマルセル・プルーストの作品『失われた時を求めて』を引き合いに出すのも偶然ではありません。あっちは7巻ですから。もしかすると、彼はその上をいきたくなったのでしょうか?」。

 ドミトリーの夢と力がいつまでも続くことを願いたい。