よみがえる鐘の音

ロシアでは、教会の鐘は常に特別な意味を持っていた。教会の鐘のおかげで、人びとは祭りから火事にいたるまで、あらゆる重要な出来事を知ることができた。1917年以後、ボリシェヴィキが鐘を打ち壊し始めたとき、それは単に野蛮行為というだけでなく、暗いミステリアスな意味に満ちた行動だった。国は長期にわたって声と聴覚を奪われたのだ。

ソ連時代、ロシアの鐘は沈黙していた。叩き割られたり、国外に運び出されたり、教会の片隅で忘れられたりしていた。だが、10月革命以前は、ロシアの鐘の鋳造量は毎年2000トンもあったのだ。ちなみに、世界でもっとも大きな鐘は、200トンあるモスクワの「鐘の大様」だ。

グリゴーリー・クバチヤン

グリゴーリー・クバチヤン

1977年2月28日、レニングラード生まれ

ロシアの旅行家・ジャーナリスト。

1994年よりジャーナリスト活動。

1997年よりヒッチハイク旅行。

今日、鐘の生産は再び復活しつつある。再建の中心地の一つになったのがヴォロネジ市だ。1989年、ヴォロネジ市の企業経営者ワレーリー・アニーシモフさんは、自社で鋳造生産を始め、既に2万個以上の鐘の鋳造に成功した。

ワレーリーさんは55歳を越えたばかり。自分の会社を「ヴェーラ(信仰)」と命名した。それは奥さんの名前をつけたものだが、同時にキリスト教における大切な徳をあらわす言葉でもある。ワレーリーさんの髪は、修道僧と同じように、うなじのところで束ねられており、髭には白髪が混じっている。口調は穏やかだが、芯がつよく、彼の話の途中でこちらが口を挟むのは難しい。その言葉には教会語が見え隠れし、普段の仕事の様子がうかがえる。工場の顧客の中心は、ロシア正教会なのだ。

私たちは、ワレーリーさんが会社を立ち上げた、ヴォロネジ市郊外のシーロヴォ村に行った。数棟の工場と管理棟、溶鉱炉、金属型、キャタピラー・クレーン、さらにもう一基のクレーンは巨大な走行クレーンで、「古代風」の錆色で塗られている。

工場敷地の中心に、重さ16トン以上の巨大なブロンズ製の鐘が置かれている。労働者たちが、ちょうど蜂が蜜のかたまりに群がるように、巨大なブロンズ製の鐘に群がっている。

「昔は、半年ほどかけて装飾加工をやり、完成させていった。だがわれわれはこれを一日でやらねばならない」とアニーシモフさんは言う。製造作業にわずかな時間しか与えられないのは腹立たしいことのようだが、実際には誇らしいことだ。そして、作業班はきちんと期日に間に合わせる。

鋳造を始めた最初の数年は、本当に大変だった。文字どおりゼロから始めねばならなかった。経験も知識もなかった。ワレーリーさんは鐘の製造技術を、モスクワのレーニン図書館で偶然見つけた小さな本で研究した。今では、ワレーリーさんの製造技術はハイレベルだ。鐘の図面はコンピュータで計算され、画家たちが蝋に彫ったイコンがスキャンされてデータバンクに移され、そのあとレーザー工作機械がそれを必要な大きさにして、加工面に彫刻していく。

工場を存続させていくには、出費を抑えなければならない。そのため、西側の高価な設備を購入して銀行の借金奴隷になるのではなく、古いソ連時代の設備の中から類似設備を集め、西側の設備に劣らない作業ができるように工夫した。

「すべて通常の10分の1以下の金額でやらねばなりません。例えば、超重量級の鐘を積み込むには、市内でクレーンを借りなければなりませんが、その作業には一日60万ルーブルかかります。これを5台のトラクターでやれば1000ルーブルで済むのです。冬はそりで運び出してドン川まで曳いて行き、そこでバージ(艀)に載せて港に送ります」。

高価なブロンズ製の鐘によって、多くの人がお金と名誉を手にしようと努める。

「教会が鐘の代金を払うことはありません。払うのはスポンサーたちです。お金を管理するのは仲介機関。基金A,基金B、文化省など、公益の機関です」とアニーシモフさんは語る。

下院議員、上院議員、知事など、著名人らは、鐘の鋳造を「支援して」、ブロンズの鐘に自分の名前を残したいと願う。これは不思議ではない。かつてロシアの皇帝たちが自分の名前の刻印された鐘を所有していたことを考えれば、現代の為政者らが例外であるはずはないだろう。後世の人びとに庇護者と考えてもらいたいのだ。

ロシアの鐘は西欧の鐘よりも重いので、舌(ぜつ)だけで揺らす。巨大なブロンズの鐘をつよく揺らすと、鐘楼が壊れてしまう可能性がある。鐘が大きければ大きいほど、鐘の音は低く、遠くまで鳴り響く。現代の巨大都市が、もはや十分に教会の鐘の音を楽しめないのは残念だ。鐘の音は車や建設現場の騒音をしのぐことはできない。しかし「ヴェーラ」社のような会社があるかぎり、希望はある。ロシアの修道院や小都市だけでも、恵みの鐘の音は昔と同じように、人びとを喜ばせ続けるだろう。

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