トルストイが愛しレーニンに憎まれた町

サモワール =キリル・ビチコフ撮影

サモワール =キリル・ビチコフ撮影

「共和国にとってのトゥーラの意義は計り知れない」。市の中央バスターミナルの向かい側の建物の屋根にはこんなレーニンの言葉が刻まれているが、その続きを知っているトゥーラ市民はあまりいない。曰く「けれどもその民は我らの民ではない」。世界のプロレタリアートの指導者は、革命家たちのライフル銃をなかなか無償で修理しようとしなかったトゥーラの武器職人たちを恨んだのだ。

 トゥーラについての最初の記述が現れるのは1146年だか、正確な開基の年は不明である。16世紀にこの町はモスクワ公国の構成下に入って辺境の主要な要塞の一つとなり、トゥーラのクレムリン(城砦)は度重なる遊牧民族の来襲や包囲に耐えた。けれども、モスクワ公国の国境が町から遠のけば遠のくほどトゥーラは軍事拠点としてではなく商工業の中心地として名を馳せるようになり、近くに鉄鉱石の鉱床があったためこの町では冶金工業に続いて武器製造業が発展していった。

 今日トゥーラでは新築の建物や高級車が多く見られる。問題を抱える地域とみなされて連邦政府の補助を受けてはいるものの。

 トゥーラっ子は自分たちのルーツを蔑ろにはせず、武器、サモワール、プリャーニク(スパイス入りの糖蜜菓子)というトゥーラの名を世界に広めた三品に誰もが誇りを感じている。

 地元の兵器博物館には17世紀の剣からカラシニコフの自動小銃に至るまでの地場製品の珍しいコレクションがある。クレムリン内にはサモワール博物館もあり、すでにお役御免ながらトゥーラっ子が愛してやまない数々の品が展示されている。銅製や真鍮製のもの、百リットル入るものから指貫ほどのちっちゃなものまで、それぞれのサモワールが町や国の歴史を雄弁に物語っている。

 トゥーラっ子はサモワールなしでもすませられるようになったがプリャーニクなしにお茶を飲むことは今でも稀だ。もっとも有名なロシアのお菓子とも言えるトゥーラのプリャーニクは長方形で中にジャムが入っている。指で軽く押してみて軟らかければ新しくて美味しい証拠。トゥーラを訪ねる際には是非お試しあれ。

トゥーラ市=キリル・ビチコフ撮影

 もちろんトゥーラっ子はパンのみにて生くるにあらず。ここでは晩年をトゥーラ近郊のヤースナヤ・ポリャーナで過ごした偉大な同郷人レフ・トルストイが偲ばれ敬われている。地元の大学生セルゲイさんはこう語る。「自尊心のあるトゥーラっ子はみんな足繁くヤースナヤ・ポリャーナ詣でをしています。いいところですよ。この州ではトルストイが敬われているのです」。読者の中にはトゥーラは古色蒼然とした中世の町という印象を抱く方もおられようが、もちろんそんなことはない。市内には、レストランやカフェ、劇場やクラブがたくさんあり、ティーンエイジャーが旧い邸宅の正面にスケートボードの傷をつける。かつて先人が十月革命の指導者に嫌われたこの町も恙なく歩み続けているようだ。