オブジェクト825GTS
Dmitry Dzhus (CC BY 2.0)ビザンツ帝国時代に一部岩をくり抜いて築かれた中世の街は、5〜6世紀頃からさまざまな民族が要塞として利用してきた。現在の名称は17世紀に現れたが、「ユダヤ人の要塞」を意味している。周辺には、カライム人(伝統的に東欧諸国に暮らすユダヤ教カライ派のテュルク系民族)が暮らしていることが多く、クリミア・タタール人は当時彼らをユダヤ人と見なしていた。
街には合わせて70の洞窟があり、2階建て、稀に3階建てになっている。いずれも補助棟、地下室、牢獄として用いられた。洞窟の近くには武器庫、倉庫、モスク、造幣所、住宅も建てられた。
街は19世紀に街から水がなくなって荒廃したが、今日では要塞は太古の街路を散策しようとやって来るすべての観光客に開かれている。
ロシアで最も寒い地下空間の一つ、クングル氷穴は、1914年に観光客に開かれた。氷穴内は『雪の女王』の王国を思わせる。以前氷穴の近くには、1663年に礎が築かれた古い商人町クングルがあった。
クングルを通る旅人は、努めて氷穴を訪れた。噂はロシア全土に広がったが、それも無理はない。千年の氷で覆われた地下空間は58の岩窟と70の浅い湖、面積1460㍍・深さ最大5㍍の大地下不凍湖から成る。
岩窟を散策すれば、雪の結晶や石筍を楽しんだり、氷穴の伝説をテーマにした演目やレーザーショーを見たりすることができる。
モスクワ・タガンスキー地区の地下壕は、スターリンの命令で1956年に作られた。深さ18階、面積7000平方㍍の立坑の中には、核攻撃を受けた際の空軍の非常司令部があった。
地下壕には半年分の食糧、燃料、空気の備蓄があり、5000人が穏やかに暮らすことができた。
核兵器を搭載した爆撃機の指揮は、1986年まで地下壕から行われていた。2006年、地下壕に博物館とレストランがオープンした。現在は核爆弾の爆発や核ミサイルの発射のシミュレーションを見たり、探検ゲームをしたりすることができる。
総距離19㎞の洞窟網が、モスクワからわずか12㎞のところにある。洞窟網は17世紀に現れたと考えられ、モスクワの建物の材料となる石灰が採掘されていた。採掘が完全にストップしたのは1917年のことで、1970年代には当局によって入口が塞がれた。
入口は1980年代に掘り返された。2007年には天井も壁も崩落しないよう修復作業が行われた。現在洞窟の中ではツアーが行われ、地下寺院や居住用の岩窟、壁画を見ることができる。
オブジェクト825GTSと呼ばれるバラクラヴァ湾の潜水艦シェルターは、広島と長崎に原爆が投下されたことを受け、1953年に建設が始まった。建設は1961年に終わったが、オブジェクトは1994年まで完全な機密であり、現地住民でさえその存在を知らなかった。
825GTSでは小型潜水艦であれば9隻、中型潜水艦であれば7隻を、その乗員および約千人の職員とともに隠すことができた。
なお、平時にはシェルターは潜水艦の修理基地として使用されていた。潜水艦は夜間にシェルターに入り、そこで燃料や酸素、弾薬を補給され、朝になると当直に向かった。
825GTSは閉鎖後に略奪に遭った。2000年代初め、極秘基地に博物館が開業し、観光客は迷宮を散策し、複合施設の歴史に関する展示品を見ることができる。
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