ソ連では国内を自由に移動することはできたのか?

観光・自然
エカテリーナ・シネリシチコワ
 家に篭りきりで、休暇になってもどこにも行けないことをまだ心配しているあなた。ソ連時代、人々が自国を移動するためにどうしなければならなかったのか、読んでみては?

 ソ連時代、一般市民が国外に出ることはきわめて難しいことであった。そのためには特別な理由が必要であり、党から特別な許可証を出してもらわなければならなかった。しかも国内の移動にも困難があった。飛行機や列車の料金は現在よりも安かったが、反面、別の都市に移動するには特別な手を使う必要があった。ソ連国内には、何年にもわたって機能してきた移動を監視するシステムがあったのである。カメラやQRコード、そして電子通行証はなかったが。

 

国民の37%がパスポートを所有していなかった

 ソ連では、1932年に全国民のパスポートの所有が義務付けられた。パスポートを所有することなく、都市や都市型集落に居住することは認められなかった。一方で村の住民やコルホーズの労働者にはパスポートは与えられなかった。安い労働力の流出を恐れたからである。

 コルホーズの労働者が、自分の村からどこか地域の中心部に行くには村評議会から証明書を受け取らなければならなかった。証明書の有効期限は30日であった。コルホーズ労働者が都市に出て、そこに居住した場合、警察に捕らえられ、罰金をとられたうえ、強制送還された。そして違反を繰り返した場合には、2年間、刑務所に送られた。

 時代とともに規則はますます厳格化されたが、スターリンが逝去し、フルシチョフ、ブレジネフの時代になっても、1967年のソ連内務省のデータによれば、ソ連国内でパスポートを与えられていない市民の割合は37%に上った。数字にすると5,800万人である。

 しかしながら、どんな時代にもこのような制限を逃れる方法はあった。たとえば、村の住民が都市出身の者と結婚すれば、都市に移住する権利を得ることができたし、都市建設の労働に従事する、都市の大学に入学するなどという方法もあった。パスポートの「差別」がようやく撤廃されたのは1974年で、以降は例外なく全員にパスポートが与えられるようになった。

住む場所を選ぶことはできなかった

 しかし、パスポートを所有していても、一定の場所から別の場所に移動するには何らかの根拠がなければならなかった(出張、サナトリウムでの療養、親戚宅を訪問するなど)。

 モスクワ在住のエレーナさんは当時を回想し、次のように話す。「皆、互いの家を訪問しあったものです。ホテルに宿泊するというのは基本的に不可能でした。レセプションで必ず、“出張証明書”があるかと訊かれ、それがないときは、たとえホテルに空室があっても断られたのです。賄賂を渡して客室に泊まることはできました。パスポートの間に3ルーブルか5ルーブル(当時の宿泊料は1泊およそ2ルーブル)を挟んで渡せばよかったのです」。

 また居住地を自由に選ぶということは考えられないことだった。ただ、「そこに住みたいから」という理由で別の都市に移住することは不法であった。まず居住許可(居住証明)を受けなければならなかったが、これも理由なく与えられるものではなかった。

 居住許可のシステムは、憲法に反するものとして、ソ連邦崩壊後すぐに中断された。そしてその後は居住地登録(定住登録、あるいは一時滞在登録)というシステムに取って代わった。

 

閉鎖都市  

 またソ連には、通行証がなければ絶対に入れない都市や居住区が相当数あった。これは軍事的あるいは戦略的に重要な場所がある閉鎖都市や国境地域であった。

 そうした中には、そこで生まれた者、あるいはそこに親戚がいる者しか入れない場所もあった。一方、閉鎖都市が一般の都市になることもあり、その場合は鉄道の切符売り場に通行証に関するお知らせが貼られた。

 また数十年もの間、閉鎖されたままの都市もあった。ソ連時代、閉鎖都市だったノリリスクに暮らしていたエドゥアルドさんは当時についてこう語っている。「ノリリスクでは、飛行機が到着すると、国境警備隊が機内に乗り込み、パスポートと居住証明書をチェックしていました。1980年代のことです。コムソモールの移住証明(党から出される出張または異動の証明書)か親戚からの呼び出しを証明する書簡、専門家を必要とする工場からの招聘状などを見せる必要がありました」。

 エドゥアルドさんの話では、休暇のために都市にいない知り合いからパスポートを借り、居住登録のついているページを抜き取るという大胆な者もいたという。「当時のパスポートは小さな冊子になっていて、真ん中がホッチキスで止められていたので、それを外して必要なページを抜き取り、自分のパスポートにはめ込めばよかったのです。そしてノリリスクでチェックを受けた後、そのページは郵便で持ち主に返すのです」。