炭酸水の自動販売機はソ連時代の一つの象徴である。自動販売機は空港や鉄道駅、ホテル、映画館、百貨店、そして街角にも置かれていた。その炭酸水がいくらで売られていて、どんな味がしたのかを今でも覚えている人は多い。その人気は大変なものであった。しかしこのソ連の自動販売機にはちょっと不思議なところがあった。それはそこにはガラスのコップが1つか2つ置かれているだけで、皆がそれを使って飲んだのである・・・。
ソ連で最初の炭酸水自動販売機が登場したのは1932年とされている。「レニングラードの工場“ヴェーナ”の労働者、アグロシキンが面白い装置を開発した。この装置を使えば、どの店も、炭酸水の製造を始めることができる」と夕刊紙「ヴェチェルニャヤ・モスクワ」は伝えている。そして1950年代の末には、モスクワだけでも1万台の装置が設置された。
自動販売機では、シロップ入りの炭酸水が3コペイカ、シロップなしの炭酸水が1コペイカで売られていた。シロップには、「梨」、「西洋メギ」、「タルフン(エストラゴンを使った緑色の炭酸飲料)」、「クリームソーダ」、「風鈴草」などいろいろな種類があった。そしてソ連時代晩年には、このレモネードに、ペプシやファンタが加わった(値段は数倍高かった)。
街中に置かれているこの自動販売機は5月から9月まで稼働していたが、冬の間は特別な金属製の箱に覆われ、販売は中止された。夏の間、このレモネードには行列ができた。どのような仕組みになっていたかというと、まずコインを入れ、味を選び、コップを所定の位置に置き、注がれたものを、後ろに並んでいる人たちの前で飲み干し、飲み終わればコップを元に戻すのである。
使ったコップは、上下を逆さにして、網のついた窪みに入れ、上から軽く押すと、中から、そして周りから水が吹き出し、コップが水洗いされる仕組みになっていた。しかし吹き出す水の量がかなり少なかったため、コップに前の人の口紅がついたままということもよくあった。
自動販売機は定期的に点検され、コップはお湯とソーダを溶かした液で洗浄された。しかし当然ながら、それは毎日行われたわけではなかった。しかしそんなソ連に疫病はあったのだろうか?実際には、かなりたくさんあった。しかしながら、自動販売機が使用されていた期間に、それが感染症の拡大の原因となったという公式的な記録は一つとしてない。
ソ連時代、国における感染症に関する統計はほぼ公表されなかった。いくつかのパンデミックについては現在も非公開となっている。たとえば、“ロシア・インフルエンザ”と呼ばれた新型インフルエンザA(H1N1)の感染拡大のときには、東南アジアからもたらされたパンデミックは1977年にソ連で猛威をふるい、20歳から25歳の若者を中心に多くの感染者を出した。
こうした場合に、コップが感染経路となった可能性はもちろんある。キーロフ国立医科大学、感染症学科のエレーナ・ウテンコワ教授は「たとえば、同じコップを使うことによって、急性呼吸器ウイルス感染症やインフルエンザなど、呼吸器系のウイルス疾患に感染するリスクはあります。また、ヘルペス感染症が悪化している人が使った場合、その人の唾液の中のウイルスが、けしてきれいに洗浄されているとは言えないコップの中に残る可能性はあります」と指摘している。
しかしながら、概して、急性呼吸器ウイルス感染症やインフルエンザといった“一般的な”感染症の場合、食事をする前にちゃんと手を洗わなかったのか、近くに感染者がいたのか、それとも同じコップで炭酸水を飲んだのかなど、どこでどうやって感染したのかを詳しく調べる人はいない。しかも、ソ連の保健システムは感染症による深刻な危機に直面したことはなかった。それどころか、世界でもっとも素晴らしいものだとされていたのである。
ソ連の人々は、コップを皆で使い回すことが不衛生で、潜在的に危険であるということを理解していたのだろうか?一部の人は理解していたようである。というのも、自動販売機には行列ができていたとはいえ、必ず、カバンの中に自分のコップを持ち歩いていた人もいれば、子どもたちが自動販売機の炭酸水を買うのを禁止していた親もいたからだ。
また人々の間では、同じコップを使うことによって、梅毒に感染するといったような馬鹿げた噂も広がっていた。そんな噂の一つは、1980年のモスクワ・オリンピックが開催され、多くの外国人がソ連を訪れたときに流れるようになった。ロシアのすべての都市で、梅毒にかかっているアフリカ系アメリカ人たちが、夜な夜なこのコップで陰茎を洗っているという噂がまことしやかに広まっていったのである。これについて、ロシア国立国民経済学院の研究グループ“フォークロア調査”を率いるアレクサンドル・アルヒポフ氏は、噂はバカバカしいものではあるが、衛生に関する集団的危険を伝えるものだったとの見方を示している。また外国人が感染症を広める人として選ばれたのは、ソ連が外国に対して恐怖心を持っていたためであり、また梅毒(実際にはコップの接触で感染することはない)が選ばれたのは、それが単にもっともイメージの悪い病気だったからで、結果、理想的な“恐ろしい話”が出来上がったのである。炭酸水の自動販売機は“梅毒拡散機”とも呼ばれた。しかし、実際のところ、人々をもっと恐れさせるには、梅毒よりも肝炎の方がピッタリだったかもしれない。というのも、肝炎は実際にコップから感染する可能性があったからである。
いずれにせよ、この自動販売機が使われなくなったのは、伝染病によってではなく、ソ連邦崩壊によってであった。
この販売機を製造した冷凍食品加工技術大学の上級研究員、ダヴィド・ゲルシゾン氏は、当時を回想し、「1990年代、自動販売機を設置、管理していた“トルグモンタージュ”が事業を続けられなくなったのです。サービスシステムが崩壊し、このシステムなしに、自動販売機を動かすことは不可能となったのです。そして販売機は誰にも必要とされなくなり、そのうち、炭酸水はどの露店でも買えるようになりました」と語っている。
一方、“アフトマトトルグNo.3”社のアレクサンドル・バランニク副社長は、自動販売機が消滅した理由の一つはソ連が解体した後のインフレだと指摘した上で、「というのも、販売機の硬貨処理装置はかなり複雑な構造で、ものすごいスピードでインフレが進む中、その装置を1年に何度も作り変えていては採算が合わなかったのです」と語っている。
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