ロシアのメインの広場と言えば、やはり赤の広場だ。この広場はこの国の歴史の方向性を決める重要な出来事を目撃してきた。国家の心臓であるクレムリンに加え、レーニン廟や壮大な聖ワシリー大聖堂がここに位置している。赤の広場はモスクワのメインの観光名所であり、毎年戦勝記念軍事パレードや、スパスカヤ塔音楽祭といった大きな国際フェスティバルが開かれる場所でもある。
サンクトペテルブルク最古の広場の一つである元老院広場は、この街の礎が築かれて間もない1704年に作られた。1825年12月26日、ロシアの反体制派が専制を終わらせようと元老院広場で蜂起した。デカブリストの乱として知られる反乱は、完全に鎮圧された。
驚くべきことに、ロシア最大の広場があるのは、モスクワでもサンクトペテルブルクでもなく、ヴォルガ川沿岸の街である。面積15ヘクタールのクイビシェフ広場は、ヨーロッパでも最大のものだ。
クレムリン近くのマネージナヤ広場には、モスクワの主要な展示場であるマネージュ(広場の名はここから来ている)がある。広場の地下に1997年に作られた大きなショッピングモールは、大の買い物好きにはたまらない場所だ。
この広場はその歴史を通して、さまざまな国家イデオロギーの影響を被ってきた。20世紀初頭にはハンザプラッツとして知られ、ナチス占領期にはアドルフ・ヒトラー・プラッツと改名された。街は戦後ソ連領となり、広場は現在の名で呼ばれるようになった。1958年までここにはスターリン像があったが、レーニン像に置き換えられた。
カザンのクレムリンの前に位置するこの広場は、この街の顔だ。戦勝記念日、タタールスタン共和国の日、音楽祭、さらにはフォーミュラ1のレースなど、街の主要なイベントはすべてここで開かれる。
サンクトペテルブルクのメインの広場の名は、隣接する冬宮に由来する。冬宮はロシア歴代皇帝の冬の公邸だったが、今日では世界的に有名なエルミタージュ美術館の建物として利用されている。1905年と1917年の革命の重要事件は宮殿広場で起きた。
サランスクの大聖堂広場は、17世紀に街の建設が始まるとともに作られた。メインの名所は、ロシア正教会によって列聖された初の海軍司令官に因んで名付けられた聖フェオドル・ウシャコフ大聖堂だ。
スーズダリの市場広場は、12世紀からほとんど変わっていない。古代の教会や修道院、屋台に囲まれたこの広場は、現代ではソビエトやロシアの映画制作者のお気に入りの撮影場所となっている。
大学広場は、ロシアの最高学府、モスクワ大学の前にある。広場を縦に歩けば、芸術や科学で功績を残した卓越したロシア人に捧げられた数多くの像を見ることができる。
サンクトペテルブルクで最も美しい広場の一つである聖イサアク広場の名は、街の最大の正教会寺院、聖イサアク大聖堂に由来している。第二次世界大戦中で街が包囲された際は、飢えに苦しむ市民がこの広場で植物を栽培した。
この広場の名は、コストロマ州生まれのロシアの国民的な英雄、イワン・スサーニンに因んでいる。伝承によれば、17世紀初めの動乱時代、農民のスサーニンが、ツァーリに選ばれたミハイル・ロマノフを殺すために差し向けられたポーランド軍の派遣隊の道案内をすることになった。スサーニンはツァーリを救うためポーランド兵をわざと森の奥へと引き込み、そこで惨殺された。
百年ほど前まで、カルーガの中心には広場はなく、大きな池があるばかりだった。現在、ここは戦時中にナチスと戦って没した市民に捧げられた永遠の火が灯された、特筆すべき場所となっている。中心部には、リボン(オカ川を象徴)と人工衛星(ソビエト宇宙探査の成功を象徴)を持つ7メートルの女性のブロンズ像が据えられた高さ30メートルのオベリスクが立っている。
カルムイク共和国の首都エリスタにあるこの広場では、変わった組合せを見ることができる。ここでは世界革命の指導者の像が、美しい鮮紅の仏教寺院「七日間のパゴダ」の近くに立っているのだ。
赤の広場があるのはモスクワだけではない。クルスクの赤の広場はさほど有名ではないが、ここにも誇るべきものはある。1947年に建てられたソビエト館がそれで、この建物は建築の面で絶賛され、他のいくつかの都市に同様の建物が建てられた。今日、この建物はクルスク州庁舎として使用されている。
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