日本で最も有名な正教の聖堂は、東京都心の千代田区神田駿河台にあり、ニコライ・ カサートキンにちなんで、ニコライ堂の名で親しまれている。ニコライは、この聖堂の建築の発案者であった。
聖堂の設計は、サンクトペテルブルクの建築家、ミハイル・シチュルポフ教授が行い、木製の三段のイコノスタシスのイコンは、サンクトペテルブルクの宮廷のイコン画家、ペシェホノフが制作した。鐘はロシアから運ばれて来た。
1923年、多数の犠牲者を出した関東大震災により、聖堂は大きな被害を受けた。鐘楼が崩れてドームを破壊したうえ、大火災により内装が焼けてしまった。だが、後に修復されている。
昨年は、最近90年間で初めて、新たな鐘(複数)が吊り下げられた。これらは、ロシアのヤロスラヴリ州で鋳造されたものだ。
日本最初の正教の聖堂で、1859年に、日本初のロシア領事館が開設されるとともに、その付属の聖堂として建立された。1861~1869年にここでニコライ・ カサートキンがミサを行った。
日本では聞き慣れない鐘の音から、地元の人々は、聖堂に「ガンガン寺」というあだ名をつけた。1907年、函館大火 で全焼したが、聖ニコライのおかげで、彼が死去する少し前に、煉瓦造りの新たな聖堂が建てられた。
内装は基本的に、1903年の創建以来変わっていない。聖堂を一段と引き立てるのが、優美な白いイコノスタシスで、モスクワの名匠Ya.エパネシニコフの作である。
聖堂には、聖ニコライ(ミラのニコラオス)のイコンが保存されているが、これは、日露戦争に際しここに収容されていたロシア人捕虜からの贈り物だ。またこの聖堂には、クロンシュタットの聖イオアンから贈られた聖遺物も保管されている。
ここでは、日本のイコン画家、山下りん(洗礼名はイリナ、1857~1939年)によるイコンの最大のコレクションを見ることができる。りんは武家の生まれ。ロシアに留学した最初の日本人女性となった(サンクトペテルブルクのイコン工房で学んだ)。
りんは一生の間に数多くの作品を生み出した。そのなかには、1891年に訪日した皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチ(後のニコライ2世)に贈られたイコンも含まれる。彼女の作品は現在、日本各地の多くの聖堂にある。
聖使徒福音記者マトフェイ聖堂は、興味深い建築のディテールで際立っている。例えば、ファサードに、垂直の細長いでっぱり(ロシア語はロパートカ)があるが、これと水平方向の帯状の部分(ロシア語はポヤソーク)がつながる部分の装飾は、伝統的な和風の様式だ。ちなみに、この聖堂は、函館ハリストス正教会(復活聖堂)と同じく、司祭建築家、河村伊蔵の設計による。
1913年に建立された最初の神現聖堂は、第二次世界大戦中のアメリカ空軍による空襲で全焼した。この新しい石造の聖堂は、伝統的なロシア様式で建てられており、スーズダリの中世の教会を思わせる。
四国の徳島市にある。四国は昔からとくに仏教の影響が強い土地柄だった。ここでも山下りんのイコンを見ることができる。
温泉客でにぎわう伊豆半島には、正教の聖堂もある。この聖堂は、1912年にわずか三カ月半で建立されている。当時、聖ニコライは重い病の床にあり、地元の信者はできる限り速やかに聖堂を建てて、彼の快癒を祈ろうとしたのである。
聖堂内のイコノスタスと大シャンデリアは、旅順の聖堂から移設されたものだ。また、山下りんが描いたキリストの磔刑もある。
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